カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』を読んで。


故国を去り英国に住む悦子は、長女の自殺に直面し、喪失感の中で自らの帰し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母娘にひと夏出会った。あてにならない男(アメリカ人)に未来を託そうとする母親(佐知子)と、不気味な幻影に怯える娘(万里子)は、悦子の不安をかきたてる。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ちあがろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビユー長編。王立文学協会賞受賞作。『女たちの遠い夏』改題。

と、帯の説明にある。

長崎では誰もが肉親、友人を亡くしていた。悦子もそうした一人であった。しかし今は結婚し、子供を身籠って幸せを感じている。佐知子は悦子より少し上の30代半ば、夫を亡くし、東京より伯父(それも夫方)を頼って長崎にやって来た。戦前は父親がヨーロッパ勤務の経験を持つような上層の生れ育ちであった。悦子が「お友だち」と呼ぶアメリカ人と一緒になって、アメリカに行くことによって、自分の置かれた現状から抜け出そうともがく。その男は浮気者であてにならない。そして娘の万里子、小学校に通う年齢になっているが、学校には行っていない。何があったかは書かれていないが、万里子はその男を「泥んこの豚」だと嫌っている。

悦子の夫(二郎)は長崎でも大手の企業(多分、三菱造船か)に勤めていて、順調に出世の道が見えている。その会社の団地に住んでいる。その住いの向いには整地されていない水溜りがある広い空き地があり、その向こうには川が流れていた。その川傍に茅葺屋根の朽ちた民家があり、そこに佐知子親子が越して来たのである。その夏は緒方さんと呼ぶ義父が福岡からやってきていた。緒方さんと呼ぶのは、夫より先に知り合っていて、そう呼んでいたからだ。家族を亡くした悦子は緒方さんを頼っていき、そこで癒されて、二郎と結婚することになる。緒方さんは長崎で学校(旧制の中学校か)の校長職にあり、人格者として慕われていた。退職して生まれ故郷の福岡に居を構えた。昔教えた教え子の一人(二郎の友達で緒方さん宅にも小さい時から遊びに来ていた松田重夫―教師)が、ある地元誌に戦前の教育批判をして、緒方さんの名前を挙げた文を載せる。二郎に抗議の手紙を書くように緒方さんは云うが、二郎は生返事である。

家族三人の会話のやり取りを読んでいて、映画にしたら緒方さんは誰だろう、笠智衆の名前が浮かんで来た。悦子は?暫らく考えて、原節子。これではまるで小津安二郎の世界だ(笑)。そういえば、イシグロ氏は、両親は勿論であるが、漫画(少年時代)や映画を通して日本文化の影響を受けたと語っている。その映画の監督として小津や成瀬巳喜男の名前を上げていた。佐知子は?と考えたが適当な俳優の名前が浮かんでこなかった。そんなことを考えながら読むのも楽しい。

物語の始まりは、英国の田舎、悦子が住んでいる屋敷から始まる。ロンドンから次女のニキが遊びに帰って来ている。ニキは英国人との間に出来た子である。大学に行っていないが、ロンドンに一人住まいしている。ボーイフレンドはいるみたいだが結婚願望はない。

夫はすでに亡くなっている。その夫は前夫との子である長女景子を嫌っていた。

なじめない異国、自分を嫌う義父、日本をすて英国を選択した母親、そういう孤立感が彼女を自殺に追いやったのだろう。

不気味な幻影に怯える娘(万里子)が最後には何か、痛々しい不幸な目に遭うのではないか、悦子が二郎と別れて英国人と一緒になる理由はなんだったのか?物語はミステリアスに進行し、その期待で最後まで一気に読みたくさせるが、丹念にかかれている文章だから、丹念に読んだ。

母娘の場面は、佐知子は伯父のところにもう一度帰る道も考えるが、アメリカ行、(先に男は帰り、段取りをつけたら呼び寄せる、それまで神戸で待て)という不確かな男の話を選択し、神戸行を決意する。荷物の整理に娘の反対にかまわず、娘が可愛がっていた母猫と子猫をバスケットに入れて、裏の川に流す場面で終わる。佐知子と万里子母娘のこれからの運命を暗示しているのだろうか。

悦子が二郎との結婚を捨て、英国行を選択する場面はついに語られることはなく、物語はニキがロンドンに帰っていき、悦子がそれを見送る場面で終わる。素敵なディナーに最後の一品が出なかったようなものたりなさを私は感じた。読者を満腹させてはいけない、余韻を持って…足りない部分は読者が物語を紡いで欲しいとイシグロ氏は思っているのだろうか。

夫婦の危機について唯一触れた箇所がある。

「今考えてみれば、緒方さんがあの夏にいつまでも我が家にいた訳もはっきりわかる気もがする。息子がよくわかっている緒方さんは、松田重夫が書いた論文について二郎がどう対応するか見抜いていたのだろう。夫の方は、ひたすら、緒方さんが福岡に帰ってくれて何もなかったことになってしまう時を待っていたのだ。そのくせ口では、一門にたいするこういう侮辱には時をおかず断固として対応しなければならないとか、これはお父さんだけではなく僕の問題ですとか、あいつには暇ができしだい手紙を書きますなどと、あいかわらず調子のいいことを言っていたのである。今となってはわかるのでだが、これは何か厄介になりそうな問題が持ち上がったとき、決まって二郎が使う手だった。それから何年か後に訪れたあの危機のときにも、彼がこれと同じ対応をしなかったなら、わたしは長崎を離れなかったかも知れないのだ」

作家池澤夏樹氏は最後の講評でこう語っている。

「長崎における悦子と佐知子の会話は共感的には運ばなかった。生活も夫の仲も安定している妊娠中の悦子と、娘を抱えて浮気なアメリカ人の愛人に未来を託している佐知子では、立場が違いすぎる。二人の会話は実に会話になっていない。それぞれに自分の社会的なポジションを確認するために相手に向かって言葉を発するばかり」いっけん同情は非難であり、佐知子の運命をかけた反論は自分の中の不安を払拭し、自分を鼓舞するためであると云うのである。

二人の会話のやりとりを、この視点を踏まえてもう一度読み直してみようと思う。

奔放で危なっかしくて不道徳にさえ見えた佐知子、景子を身籠っていた長崎時代のひと夏を、今、悦子は共感をもって振り返るのである。

いい小説本に出会ったときは、一気に読んでしまいたい。でも、それも、もったいない。いい食事は時間をかけて味わいたい。今日は三分の一、明日も、明後日の分もあると思えるのは嬉しいものである。わたしの両親もこの時代の人である。この時代に所帯を持った若い夫婦の物語を、わたしは書きたくなった。

これから、彼の書いた著作を順次読んで行こうと思うが、多分この物語が一番好きだろうと思う。


*吉田喜重で、1998年『女たちの遠い夏』という題で映画化が企画されたが、セットの建て込みも進む中でイン寸前に頓挫した。だれか映画にしてくれないかなぁー!

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