血の池に沈みし醜き者達 1

 幾筋もの血流が、深く掘られた穴中に、赤黒い網目を作って行く。

 穴を囲む原生林の樹上に据えられたカメラを通し、一人の男が立ち尽くす姿は、壁に埋め込まれた液晶画面に映し出されている。

 暖炉の灯だけに薄暗い部屋で、移り変わる映像の色を白く長いドレスに滲ませ、穴の持ち主であろう姉妹が、嬉しいばかりの表情でシャンパンの栓を飛ばす。

 穴の淵で血の滴る日本刀を握った男は、自分が仕出かした所業が理解できぬままである。

 こわばって刀を握りしめた右手の指を、少しばかりなら己の意思をもって動かせる左手で、一本二本と開いてゆく。

 俄かに振り出した雨と、辺り一帯に響き渡る雷鳴に慄いているのではない。

 ただ眼界にある景色が恐ろしいばかりで、ブルブル震える左の手が、硬く握った右の人差し指を、ボキッ! と折っても、男はなんら痛みを感じない。

 全ての指が解ける。

 激しさを増した雨に、血のりを洗われた刀が手から滑り落ちると、雨水を吸い込んでドロドロになった掘り返土に飲まれていく。

 切っ先が天を向いたと同時に、激しい稲光が男の大罪を戒めるかの如く、穴底で泥水に体半分が沈んだ女の顔を一瞬浮かび上がらせる。

 絶命しているとしか思われない姿だが、なます切りの挙句放り込まれたであろう裸体からは、まだ血が流れ出ている。

「ひゃー、俺じゃねえ、俺じゃねえよー」

 悲鳴にも似た声が、急変した豪雨にかき消される。

 男は手に持ったスコップで、刀を包み込んだ盛り土を穴の中に落とす。

 底に横たわる女の体が泥水に浸かり、すっかり見えなくなると、男はようやく冷静を取り戻してきた。

「俺じゃねえ、俺じゃねえ、俺じゃねえ」

 嵐が過ぎ、何度も繰り返す自分への言い聞かせが、深夜の闇に染み入る。

 強い雨脚に掘り返した土が流されたせいで、埋め戻した穴は周りの更地より低く、枝葉で陽の射さない森林にあっては、いつまでも底なし沼のように膿んだままである。

 いずれ、埋められた死体は体内より腐敗し、溜まったガスによって膿んだ泥を押し退け、地表に悍ましい姿を晒すに違いない。

 一度でも、雨の日に砂地でない穴を埋め戻した経験のある者なら、容易に予想できた事だが、この時の男には、そこまで考えを及ばすだけの余裕はなかった。

 激しく降った雨が、犯罪の証拠全てを綺麗に洗い流してくれると、自分なりの自信を持って、スコップと刀を駐車場に向かう途中のダム湖に捨てた。

 嵐の夜に繰り広げられた殺人及び死体遺棄の一部始終は、ダム湖の畔に住まう姉妹が設置した暗視カメラによって録画されていた。

 しかし、この事件を、姉妹が警察に通報する事はなかった。

画像著作者 Weimar Meneses


 宿に着いた男は慌てて中に入り、「途中で大雨に出くわして、ひどい目に遭った」と、ロビーで一騒ぎして、酷く泥に塗れているのは嵐のせいだと宿の者に印象付けた。

 それから、ロビーでタオルと浴衣を借り、部屋に戻る前に温泉へと向かった。

 脱衣所で、着ていた衣服を全て大きなビニール袋に詰め込むと、ようやく安心したらしく、折った指の痛みに気づいた。

 風呂で温まった事も手伝って、ともすれば屈強な兵士でも気絶する程の痛みが、指先から全身に伝わる。

「どうもいかん、転んだ時に指を折っていたらしい。ここらに医者はいないかね」

 風呂から上がると、男は痛みに青ざめた顔で女将に尋ねる。

「お医者さんは峠を超えた町まで行かないと、それに大雨のせいで、生憎一本限りの道が通れなくなってしまって、明日の朝には復旧すると言うてましたが……ああ、丁度良い具合に、姪っ子が来ています。二人とも医者ですから、応急処置くらいならできますわ。あまり酷いようでしたら、ヘリ呼びますけど、だいじょうぶでしょうね、御酒飲みながら痛いって言ってられるようでは」

「ああ、ああ、良いね。とりあえず痛みさえなくなってくれれば、僕は良いから。頼みますよ」

 痛いが一瞬、遺体と聞こえた男は、おどおど答える。

©Daichi Ishii Office, LLC.