WALK THIS WAY!!



 重たい書類カバンが手から滑り落ちる。


 そして思わず力石店員から雑誌を奪い、広げた紙面に顔を近づけ、小さなアルファベットを凝視した。

 それはやっぱり、僕の知ってるあの名前だった。



  ……コウヘイ イソノ? まさか……



 僕は片足立ちになり、その上げた腿に雑誌を置いて、急いで右のページをめくった。

 するとそこはもう、白黒の広告ページになっていたので、今度は左に指を走らせ、前へ前へとページを繰った。


 薄っぺらい紙の上に、再び広がる青い世界。

 それはどうやら、サーフィン大会の特集記事のようだった。

 頭の上に覆い被さるほど大きな波の中にいるサーファー。

 その表情は遠く一点を見つめながら真剣そのもの。

 けれど時には両手を振り上げ、波と一緒に愉快に踊るようにも見える。

 これはいったい、海のどの位置から撮られたものなのか。

 見ているだけで、自分もその側にいる気になって胸が高鳴る。

 次々と現れる、その躍動感あふれる写真に、僕はすっかり心を奪われていた。

 そして更に数ページめくったところで、記事の内容が違うものに変わり、それに合わせて写真の雰囲気もガラリと変わって、そこには違う撮影者の名前が、小さな文字で記されていた。


 僕は不意に、どこかに放り出されたような気持ちになった。

 そう。それは例えば子どもの頃、父さんに『高い高い』をして遊んでもらって、それが、『はい、お終い』と、一方的に打ち切られた時の遊び足りなさ、興奮のやり場の無さに似ていたかも。

 


 もっと見たいのに



「ちょ、ちょっとお客様、、、、」


 咎めるようなその声にハッと我に帰ると、僕のすぐ横で力石店員が、つぶらな瞳を潤ませて、今にも泣きそうな表情で僕の事を見上げていた。

 ……恐らく僕は、辞書持込み可のテストみたいな勢いで、乱暴にページをめくっていたのだろう。

 けれどすっかり上がったテンションを、もう治めることなんてできなくて、その勢いのまま、困惑する力石店員に雑誌を突き出し、


「これ、この人!誰?!」


 と、指先でその白抜き文字を連打しながら訊いた。


「だから山田……」


「じゃなくてこっち!この下の名前の人、イソノコウヘイって誰?!」


 突然、豹変した僕の態度に面食らいながらも、力石店員は指された場所に黒目を走らせ、すぐに答えた。


「ああ、サーフィン・フォトグラファーの事っすね」


「サーフィン・フォトグラファー!?」


「はい。この雑誌ではこの人の名前、良く見ます」


「ゆ、有名なの??」


「まあ、そうとも言えますね。特に水中カメラマンとしては知られてて……」


「コレ下さい!!」


「へ?」


 僕はもう矢も盾もたまらない気持になって、力石店員が説明を終える前に、勝手にそう叫んでた。


「この雑誌、売って下さい!いくらですか?!」


「だ、駄目っすよ!僕の私物なんすからっ!!」


 ページを引き裂きそうに震える僕の両手から、力石店員は慌てて雑誌を奪い返し、


「ほ、本屋行ってください、本屋に!本屋行けば『REAL SURF』って、850円で普通に売ってっすよ!!」


 と顔を真っ赤にして早口で言うと、あとはもうその雑誌を、さっさと元の棚のパンフレットの下に隠してしまった。

 僕は、表紙のデザインとその誌名を頭に焼き付け、そして、うわ言のように呟いた。


「知ってるんです、僕……」


「は?……何をですか?」


 艶の良い眉間に一本シワを寄せ、僕のことをじっと見つめる力石店員。

 その疑わしそうな視線に晒されながらも、僕は自分でびっくりするくらい、弾んだ声で答えたと思う。




「知ってるんです、磯野航平!!」




 店内が、一瞬、シーンと静まり返った。

 そして見つめ合う、ポカンとした栗みたいに冴えない彼と、それ以上に冴えない、白タオルを頭に巻いた僕。


「……多分」


 誰?と訊いておきながら、知ってるんです多分て、支離滅裂にも程がある。

 けどそんぐらい、頭の中が動転してた。

 ケミカル軍団の冷たい視線を、背中にビシバシ感じるけれど、静まり返った店内に、やたら僕を煽るように響き渡る、誰もが知ってるこの曲は『WALK THIS WAY』



「いえ、何でもないです。ありがとう!」



 あっけにとられる力石店員に、お礼を言って頭を下げ、僕は足元のカバンを拾うと、胸を張って振り向いた。



「何?あのタオル男! ダサッっ!!」



 冷やかすように誰かが言った。

 けど、気分はもはやアメリカの青春映画。

 誰も踊らないダンスフロアの、しらけた空気を蹴散らすように、僕はRUN-D.M.Cに背中を押され、再び書類カバンを肩に引っさげると、ケミカル軍団の間を悠々と歩いて行った。


 そして店から通路に出ると、エスカレーターで書店のある7階へ向かった。












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