慌ただしい夏



 あれから二ヶ月が過ぎ、7月がもう終わろうとしていた。

予定では一年で済む浪人生活を、既に三分の一、消化したことになる。


 残りあと三分の二。


 いつの間にか、ゴッソリと時間を持って行かれていたみたいで、焦る気がすると同時に、もうそれだけしか残っていないと言う事に、ある意味ホッとしている。

 浪人が決まったばかりの頃は、先を見通すことのできない重く不透明な水銀の中で、徐々に神経を侵されていくような毎日を過ごしていた気がする。

 その、もったりとした重圧感は、僕にどこにも進めない絶望と孤独を感じさせていたけれど、実際はどこに閉じ込められていたわけでも無く、僕は見えないながらもあがき続け、その三分の一の期間に、何らかの成果を得た、得ないに関わらず、物事は確実に『 区切り 』に向かって進んでいく。


 変わらず、永遠、なんてものは無い。良くも悪くも。


 そんな、一見変わらないようで、確かに変わった出来事の一つ。

 それは、津田沼の佐々木ゼミナールに通い始めたという事。

 と言っても、90分の授業を週2回。受講料は12週で約5万円。

 6月の中頃、父さんがまだ就職したばかりなのに、ボーナスが思った以上に出たと言い、「もし良かったら予備校の夏季講習でも受けたらどうだ」と勧めてくれたのだ。

 正直、父さんはもう僕の大学受験には、興味を失っているどころか、実質反対なのではないかと不安だった。

 どんなに一生懸命勉強したとしても、それがいついきなり、「やっぱり大学は諦めてくれ」と言われて、今までの積み重ねが水の泡になるような事態が起きるのでは、と気が気でなかった。

 だからそれを聞いた時、本当に嬉しかった。


 僕は中三までは、高根木戸駅の近くにある進学塾にガッツリと通っていた。

 けれど念願の高校に合格してから、あんなに塾へ行け行けとうるさかった父さんが、パタリと何も言わなくなった。

 それが我が家の経済的事情のせいだというのを、僕自身も薄々気づいていたから、自分から塾に行きたいとは言わなかった。

 そして、それなりに真面目に勉強しているつもりだったのに、気付けば高校の授業に、すっかりついて行かれなくなってしまっていたけど、同じ落ちこぼれ仲間と共に、それなりに学校生活は楽しんでた。


 高三になってからは、学内の定期テストでは、理数で壊滅的な赤点を連発しつつも、英・国・社に絞った学外の模擬テストを受けると、なぜか第一志望の合格ラインに近い偏差値を取る事が出来た。

 なので友人達には「マークシートの神様」と名付けられておだてられ、僕も調子に乗っていたので、このままでも大丈夫だろうと思っていた。

 で、結果的には全然、大丈夫じゃなかったわけだ、当たり前だけど。

 今考えると相当お恥ずかしい話。

 僕は全くの凡人。

 精神的にはそれ以下。

 強運の持ち主なんかでは無いのだ。

 なので本音を言えば、お金の余裕さえあるならば、予備校に行きたかった。

 浪人中、勉強時間は増えたと言っても、去年と同じような事をやってて合格できるだろうか。

 滑り止めくらいには引っ掛かる?……分からない。自信が無い。

 だから「自己流」ではない受験勉強の仕方を教えて欲しかった。

 それで少しでもスコアが上がれば、全落ちのダメージから這い上がり、「今年はいける」という、ちゃんと根拠のある自信を持てそうな気がした。


 それで早速、前言撤回って事にならないうちに、家から自転車で通えて、友人で浪人になった奴らのほとんどがお世話になってる、佐ゼミに手続きしに行ったのだ。

 以前なら、そういう面倒な事は全部母さん任せにしていたけど、あの人も仕事で忙しいのに、一日中家にいる僕が何もしないのは、もう高校生じゃないのに、さすがにちょっとヤバいだろう。

 と思って、受講料の振込以外は自分でやった。

 で、話戻って、色々考えた末、結局申し込んだのは夏季講習では無く英語の単科。

 

 僕は高一の二学期には、もう大学は英・国・世界史で受けられる所と決めていた。

 その三つの中で、特に苦手な英語を集中して攻めておきたかったから。

 国語は得意で、強いて言えば漢文が苦手だったけど、自習で十分カバーできる。

 そして世界史は、僕が最も好きで、自信を持てる教科だった。

 受験うんぬんとは関係なく、小学生の頃から単純に「ナポレオン」とか「エジソン」とか、そんなよくある世界の偉人伝なんかを読むのが大好きで、そのお陰で勉強という意識では無く、面白い物語として、登場する人物やその時代背景に自然と興味を持つようになった。

 中学生になってからは、父さんの持っているオトナ向けに書かれた歴史小説を読んだ。

 事実にのっとり、忠実に書かれたものもあれば、冒険活劇風に仕立てて、ちょっとエロいシーンが出てくるものもあり、そっちはそっちでワクワクした。

 英雄たちの意外な一面や、遺跡の謎なんかについて突っ込んで書かれた新書も大好きだった。

 それからその中に登場する、哲学者の書いた本なんかも開いてみるようになった。

 でも結局、これは開いただけみたいなもん。

 ほとんど理解できなかったので、あえて読んだと言うのはやめておこう。

 それでも手にして読もうとしていた理由は、今思うと僕がそうしていると、気難しい父さんが、何やら嬉しそうに見えたからかもしれない。

 僕がギリシャ哲学の本と睨めっこをしていると父さんは、「お前にはまだ早い」と言いながら、それでも易しく解説してくれた。

 そのうち、父さん自身の人生哲学の話になっちゃうんだけど、僕はそれを一生懸命聞いてた。

 今はしょぼくれて、すっかり卑屈な感じが気の毒だけど……ま、そんな話しはどうでもいいか。

 とにかく世界史については、覚えるという事に全く苦痛を感じ無い。

 行ったことも無い、今と違う世界の国境。

 耳慣れない地名と人名、そこで始まる冒険、発見、革命、戦争。

 人類史の中、地球のあちこちで起こるドラマは、どんなちっぽけな事でも、僕に小さな感動を与えてくれる。


 けれど英語だけは、どうも思うように行かなかった。

 多分、子供の頃から英語に親しんでいた人は、英語に苦痛なんて感じるわけも無く、僕にとっての歴史と一緒で、何が難しいのかなんて考えたことも無いのだろう。

 歴史が苦手な友人は、興味も無い何千年という過去の中の断片を、限りなく覚えなくてはいけないような圧迫感に、吐き気がしてくると言っていた。

 僕にとってはまさに英語がそんな感じ。

 しかも受験では英語は必須。免れられない。

 この先、英語ができなくては無理な会社に、僕が就職を希望することは無いだろう。

 だから取りあえず今だけ、あと残り三分のニの期間だけでいいから、英語を徹底的にやる。

 僕と言う人間が生きて死ぬ歴史が70年はあるとしたら、その期間なんてわずかなもの。

 そう思って、予備校講師が「ここは良く出る」というポイントをそのまま覚え、応用問題を解きまくった。

 単語、熟語、構文、発音記号が、頭の中で踊るほどに。

 受験英語攻略。

 将来役に立たないって言われても、それがテストに出る以上はやるしかない。

 今年の成功のカギ。

 やればきっと、結果に繋がる。僕はそう信じることにした。


 そう、それしかない。


 実際、予備校に通い始めた事は、僕にとっては良い刺激になった。

 確かに今まで、自室でコツコツ、マイペースでやってこれた。

 勉強机にしっかり向かう時もあれば、暗記モノなら、ベッドに寝転びながら。

 時間に縛られることも無く、捗る時は勢いに任せて頭に詰めるだけ詰め込む。

 徹夜、というより昼夜が逆転して、母さんの作る食事も、自分の都合で後廻しにしたり、時には食べなかったり……そんな身勝手な生活サイクルが定着していた。

 けれど予備校で、久しぶりに授業と言う時間の区切りを与えられ、他のライバル達の中に放り込まれると、今さらながら、受験生の自覚と緊張感を思い出し、時間の大切さについて思い知ることができた。

 単科生でも自習室は自由に使えるので、席が空いていれば家に帰らず、そこで集中して、その日習った事の復習をした。

 元同級生と顔を合わせることも度々あり、そんな時は休憩室で缶ジュースを飲みながら、お互いの近況を報告し合うのも楽しかった。


 その週二回の予備校通いの他に、平日一日を潰して松本さんと海に行く。


 それが何と言っても、僕には最大の気分転換だった。

 海に行った翌日は、リセットされた頭がむしろ貪欲に勉強をしたがった。

 約束の日が近づけば、松本さんに会える事が励みとなってさらに気合が入る。


 そうは言っても、別に彼女と付き合うようになったわけじゃない。

 僕は相変わらずアッシーで、松本さんを例のサーフショップに送った後は、一人でそのまま勝浦まで車を走らせ、GOOD2GOに行くだけの事。

 そしてババさんの農作業の手伝いをする。ていうか、手伝わされる。

 ババさんが海にサーフィンに行って留守の時は、縄梯子を登って勝手に小屋に入り込み、昼寝させてもらったり、勉強したり。


 あの小屋で一人で勉強すると、恐ろしく暗記モノが捗った。

 初めて松本さんと海に行った時もそうだったけど、僕にとって海や空の「青」というのが、記憶の定着のイメージカラーにでもなったのか、小屋の窓から空を眺め、それから目をつむって、まぶたにその色が無理なく浮かぶ時は、言葉や年号が、脳の隅々まで良く染み込む。

 だからババさんの所に行く時は、以前はやたらと沢山の参考書を、書類カバンに詰めて持って行ってたけれど、今では世界史の薄い問題集か、英語の単語帳を一冊、膝をカットオフしたジーパンの尻ポケットに入れて行くだけ。


『膝をカットオフしたジーパン』


 それは松本さんと一緒に出掛けるようになってから、僕がハサミでぶった切った、古いボブソンのジーパン。

 中学の頃、母さんがイトーヨーカドーの衣料品コーナーで買って来た一品だ。多分3,000円くらい。

 松本さんに「今時、そんなジーパン穿いてるコ見た事ないよ」と笑われて、

「膝でカットオフしちゃってさぁ、ショートパンツにしてみし?」

 と言われ、そんなジーパンと今時のジーパンに、どんな違いがあるのか分からないけど、取りあえず試しに切ってみた。

 次の週、裾のほつれたままのそれを穿いて行ったら、松本さんは手を叩いて喜んでくれた。

 なのでそれから僕はそのズボンばかり穿いている。

 とりあえず夏の間は、これで何とかなりそう。

 予備校の時は、相変わらず例の折り目正しきチノパンだけど、太腿の辺りに所々残っている薄茶色のあの時の血の染みが、もしかしたらオシャレに見えるかも、と信じながら穿き続けている。


 そして『カットオフ』という言葉も、何だかカッコイイ気がして、たまに意味も無く予備校の友人の前で口にしている。









©CRUNCH MAGAZINE