ババさんと磯野さん



「俺は磯野航平。君は?」


 黒い縄のれんの横に、金色のライオンのぬいぐるみが見えて、それが突然しゃべった。


 僕は、何がなんだかよく分からないまま、そのイソノコウヘイと名乗る、金のぬいぐるみの顔をぼんやりと眺めていた。


「ボケたツラしてやがんな。やっぱヤバくねぇか?キング……」

「しっ!……これが見える?」


 縄のれんを短く静止し、ライオンが僕の目の前に人差し指を立てた。キング?

 どういうつもりか分からないけど、僕が黙ってうなずくと、


「何本に見える?」


 と、下らない事を訊いて来たので、一本、と答えようとしたら、その口の横でグニャリと冷たいものが動き、何かと思ったら、氷水の入った薄ピンクの細長い水風船みたいな物が添えてある。

 そして、顔の左側が痺れ切ってて、何だかろれつが回らない。


「…ぃほん……」

「にほん!?おぉぉぉ、ラーダマスィー!キング、やっぱ病院に連れてこう!!」

「待てよババ、落ち付け……に? いち??」


 慌てふためく縄のれん、、、そうだ思い出した、ドレッド男。

 この暑苦しいウザい顔。 

 ババ?ジャイアントババ?いや違う、、、アクセントが前のバに付いてる……『Baba'』じゃなくて『Ba'ba』だ。

 んでいつの間にか現れた隣の妙に冷静な金のライオン…キング?キングってのはライオンキング??

 それにしても何言ってんだコイツら……に? いち?って、『いち』に決まってんじゃないか


「うわ、笑った!!大丈夫かよ、おいアンタ、Wa mi Say!?」


 黒い髪を揺らして騒ぐドレッド男。そのいかつい肩を横に押しのけ、ライオンキングは「分かるわけないよ」と言うと僕に向かってニッコリ微笑み、静かな声でもう一度僕に訊ねてきた。


「この指、何本?」


 その穏やかな表情が、僕の目から頭の中に、ゆっくりと安心感を伝えてくる。

 僕はイソノと名乗る、金色の髪をした男の目をしっかり見ながら、氷で痺れた舌をうまく動かせずに、それでもなんとか、


「い  ほん」


 と、慎重に答え、念のためそろそろと右手を上げて、指を一本、真似して立てた。

 それを見てイソノという人は、ドレッド・ババとは対照的な、小さな目を細めて頷き、


「名前は?」


 と訊いた。

 その目は小さいけれど、何か奥底に力強さを秘めたような不思議な目だった。

 その目力に促されるように、僕は答えた。


「ハルら……はトひ」


「……はるらはとひ君……」


 発音のはっきりしない僕の答えに、不思議な目を持つイソノ・ライオンキングが、チラっとドレッド・ババの顔を見た。

 ドレッド・ババも、無言のままライオンキングをギロリと見た。

 それから二人して僕の顔を見て、同時に困ったように首を傾げたので、その動きが可笑しくて、僕は思わず吹き出してしまった。

 そして思考が、途切れてしまう前までの事と、今、目の前に見える事を急ピッチで繋ぎ始めた。


 そうだ、僕はジャマイカ式あいさつに失敗して殴られたのだ。


 僕は革椅子から身を起こそうとした。

 するとライオンキングが、背中にそっと手を添えてくれた。

 冷たい氷の入ったビニール袋が、シャリリと音を立ててズリ落ちる。

 僕はそのぶよぶよしたピンクの水風船を力なく握って、



「はるダ、サとし、れす……」



 と言い、


 そして自分でも良く分からないけれど顔を引きつらせて笑い出し、

 それから泣いた。











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