その場所



 四角く切り抜かれた床の穴を通り抜け、僕は慎重に縄梯子から小屋の中へと移ろうとした。

 梯子から床板までの距離は約50センチほど。

 こんなのは久しぶりだけど、まあ、ちょろいもん。

 野田のアスレチック公園の、

『落ちたらドボン・亀甲縛り沼地獄』

 に比べりゃ全然マシなはず……


「よっ…とっとっ、、、」


 カバンを左手に、揺れるハシゴを右手でしっかり握りながら、床の一端にそろそろと片足を伸ばす。

 靴の先が届き、それから危なかしいながらも踵まで完全に板の上に乗ったのを目で確かめてから、その足に体重をかけた。

 途端、 


 ミシィッ!! 


 と不吉な音がした。

 僕は驚き、慌てて縄を握った右手を離し、カバンを持った左手と共に咄嗟に数回、多分、泳ぐように空を掻き、一瞬のつま先立ち、そしてそのまま板の端から小屋の奥へと、下手くそなスタントマンのように転がり込んだ。

 転んだ拍子に、本を詰めたカバンが床を打って凄い音がし、それから近くにあった椅子か何かに、しこたま肩をぶつけた。


「痛ってぇ……!!」


 ……実を言うとそれほど痛くはなかったんだけど、取りあえず痛いと口にすることで、みっともなく転んだのを誤魔化して、心を落ちつけようという、いつものクセみたいなものが出た。

 それにしても床が抜けるのかと思った。

 マジ焦った。

 心臓がバクバクしている。

 しかしまずは無事、小屋の中に入ることができた。断りも無くだけど。


「こんにちはー…」


 土下座のようにしゃがんだまま、首だけ回して中を見渡す。

 誰もいない。

 そして思ったより広い。


「どなたか、いらっしゃいませんかー…?」


 もう一度そう言ってみたが、やはり返事は無い。

 僕は恐る恐る立ち上がり、カバンを左に持ち替えて、右手で両膝と尻を何となくはたき、それから床の強度を測るために、その場で軽くジャンプしてみた。

 するとズンズン、と多少は揺れが響くものの、さっきみたいに不吉な音は全くしない。

 継ぎはぎだらけの外観からして、変わり者が気まぐれに作ったちゃちな小屋くらいに思ったけれど、実際には柱になってる4本の太いログが示すように、土台はかなり頑丈に造られているようだ。

 広さは、縦横7メートル位の正方形。

 天井の高さは、一番高い所、つまり木の幹が突き抜けた所で4メートルはあるだろうか。

 その中で、まず目に付いたのは、四方のうち一つの壁面をそのまま使った大きな本棚。

 僕の背丈より高いその棚に、本、雑誌、CDなんかが、縦になったり横になったりゴチャゴチャになって詰め込まれている。

 これが自分の部屋だとしたら考えられない。

 多分僕は一日かけて、これらに全て何らかの決まりを付けて分類し、きちんと縦にして並べ直すだろう。けれど不思議な事に、縦横入り乱れたCDケースや本の背表紙の色が、モザイクみたいに混然一体となり、この小屋の雰囲気には妙にマッチしていて、決して悪く無い。

 僕の、ウグイス色をした和風っぽい砂壁の部屋だとしたら、こうはいかないだろう。

 その本棚の前に、一人掛けの籐のソファーが一つある。

 それはいわゆる『エマニエル夫人』が座るような、ゆったりと大きなやつだ。

 そして、二つ目の壁には、胸の高さ位の位置に、太い釘のようなものが幾つも打ち付けてあり、そこに使い込まれたフライパンや鍋なんかが下げてあり、その上に棚板として、例の赤、黄、緑の三色に塗り分けられた長い厚みのある板が、鉄の支えで壁に留められていて、赤い棚にコップ類、緑と黄色には大小様々の皿が、きちんと重ねて並べてあった。

 そしてそこには、理科の実験室にあるような、やたら大きな流し台がドンッ、と設置してあったけど、蛇口というものは無く、代わりに浄水タンクみたいなのが置かれていた。

 そしてその横に、赤いカセットコンロが二つある。

 いずれにしても実験台の上は、本棚と違って綺麗に磨かれ、清潔に使われているように見えた。

 そして三つ目の壁には、サーフボードが5枚、長いのやら短いのやらが壁に立て掛けられていて、その周りに海の絵や写真なんかが、曲がったり、片側だけ剥がれてたり、こちらは本棚と一緒で、何だか適当な感じに画鋲で留めてあった。

 最後に、窓のある壁。

 木枠の長方形の窓が、全部で4つ並んでいる。

 その窓の下に、長いグリーンのカウンターテーブルが設置してあり、それぞれ形の違う椅子が四脚、置いてあった。

 手前から、木製ダイニングチェアー、そしてどこからか拾って来たような円椅子が2種。

 それから一番奥の、本棚に近い場所に、背もたれと肘掛けの付いた、黒い革張りの椅子があった。

 例えば、TVドラマの社長室のシーンかなんかで出てきそうな感じの。

 その革椅子が、座面をこちらに向けて置いてあった。

 まるで「どうぞ、座ってください」と言っているかのように。

 僕は引き寄せられるようにその前まで歩いて行き、書類カバンを、緑のカウンターテーブルの上に置いた。

 それから、椅子に背を向けてしゃんと立ち、肘掛けにそれぞれ手を置いてから、そっと腰を下ろしてみた。

 沈み込むようでありながら、しっかり体重を支えてくれるクッション。

 そして背もたれは、僕の望んだ角度に自然にリクライニングしてくれて、肘掛けは、上等そうな本革が、じんわりと乗せた手のひらに馴染む感じ。


「へぇ、こりゃ良いや……」


 僕は思わず、唸るように呟いた。

 そして両足で軽く床を蹴って椅子を回転させ、窓の方に体を向けた。

 外へと開け放された木枠の窓の、上を占めるのは青い空。

 下は、緑のブロッコリーの森。

 その間に、空より少し濃い青が、帯のように見える。


  ああ、 あんなところにあるのか……


 僕はすぐに、その青い帯が、海だと分かった。

 風が吹き、緑の森が一斉に、呼吸するかのように、音を立てて動き始める。


  なんて気持ちの良い場所だろう……


 僕は何だか嬉しくなった。

 そしてすっかり寛いだ気分になり、

 革椅子に腰かけたまま両手を上げ、

 思い切り伸びをしたその時






       「動くな……」






 と、 背もたれのすぐ後ろで低い男の声がした。







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