始まり、神戸を紹介するよ。

1日が終わり、人々が家路へと急ぐ頃、俺の1日は始まる。
メニューは豚汁定食にビール、酒、焼酎、これだけ。あとは勝手に注文してくれりゃあ、できるもんなら作るよってぇのが俺の営業方針さ。
営業時間は夜12時から朝7時頃まで。人は「深夜食堂」って言ってるよ。
客が来るかって? それが結構来るんだよ。

 でも、店は東京ではないんだ。あの店はやりたいって人がいてね、俺もこの人ならお客さんを大事にしてくれるだろうと思って譲ったんだ。気に入った街で、いい馴染み客たちだったが、10年近くもやっていると飽きたてぇのが本心かな・・後をやっているマスター?俺よりいい男ってぇのが気に要らないんだが、また行ってやってくんな。営業方針もそのまんまだ。

 そんなわけで、生まれた街、神戸に帰って来たってわけさ。2、3年東京の空気を吸ったらすぐに帰って来るつもりが、ずいぶん長くいたもんだ。身に着いた関東弁、いまさら、「なになにしてはりまんねん」とは、気恥ずかしいね。しばらく言葉はそのままで通すよ。でも、地の言葉はたまには出てくるかも知れないね。

 店は神戸のどの辺って?神戸の盛り場は一か所だ。昔は新開地とかいろいろローカルな味もあったが、市電がなくなって、地下鉄が出来たりして、みんな三宮に集中しちゃったよ。神戸の中心の街を簡単に紹介しておくよ。
 神戸は知っての通り、前は海、後ろは六甲連山の横に細長い街だ。その一番狭いところが神戸の中心部だ。東はフラワーロード、縦のメインロードで新幹線の新神戸駅から真っ直ぐ浜に降りる道で、大橋を渡って人工島・ポートアイランドに続く道だ。JR三ノ宮駅が道を跨ぐ形であって、市役所や税関が浜側に建っているよ。

 西は鯉川筋、道の下は暗渠になった川だ。メリケン波止場からまっすぐ山に向かう道なんだが、突き当たった先は、南米に向かう移民者の施設『国立移民収容所』があったところだ。昔の人は「移民坂」と呼んだよ。震災で波止場は潰れ、今はメリケンパークになっている。途中に元町駅や大丸百貨店、中華街がある。山と海との間をこの二つの道で切り取ったところが中心部で、百貨店、商店街、地下街、銀行やオフィス、ホテルと主だった建物、観光地になっている旧居留地や北野の異人館まで、全部この中にあるよ、と言ってもいいぐらいだ。

 その四角形の真ん中をJRと阪急電車の高架が走っている。高架から北を山側、南を浜側と神戸の人はいう。阪神電車は地下で入って来ている。姫路―神戸間を結ぶ私鉄で山陽電車というのがあって、阪急、阪神、山陽が相互乗り入れになって神戸の東西は随分便利になった。そこに地下鉄だ。人口島ポートアイランドに行くモノレールもJRの駅南側に隣接してある。三宮に一極集中するわけだ。その高架の一本浜側の通りが京町筋というのだが、そこから下(浜側)が昔の居留地だったところだ。
 港があって、海岸通りがあって、旧居留地には銀行やオフイス街、次が大丸、そごうの百貨店、センター街や、さんちか(地下街)のショピング街、主婦や若者たちで賑わってるよ。JRと阪急電車の高架の山側は飲食店がひしめく盛り場だ。山手幹線から上はマンションや住宅、しゃれたレストランやカフェもあるね。一番上が異人館のある北野町だ。
 仕事引けた安サラリーマンが、高架下の居酒屋で下地を入れて、お姉さんのいるバー街で飲んで、運よくホテルにしけこめたら、それを出世街道と呼んでいたよ。ずいぶん昔のことだがね。そのホテルも探さないとないぐらいに少なくなった。おいおい神戸のことはまた紹介していくよ。

 神戸の街はわかりやすいだろう。そうだ一つ忘れていた。盛り場のまんなかに、こんもりした森があってお社があるよ。生田神社だ。地元の人は「生田さん」って呼んでるよ。有名な女優が、お笑い芸人と派手な結婚式を挙げたところといえばわかるかな。街のことはおおよそ分ったとして、お前の店はどこだ?と訊くんだね。
 神戸は海から山へ向かう短い坂道と、市街地を横に走る5本ほどの幹線道路とが交差するだけで、あまり入り組んだ道はないんだ。でも、この生田界隈は路地もあって、いちばん、ごちゃごちゃしているかな。店のある路地は看板も標識もない、名前もない路地なんだ。まー、あんまり大きくない盛り場だし、駅からも近いし、適当に歩いていると見つかると思うよ。目印は『めし』と書いたあの暖簾とちょうちんだ。営業時間も営業方針も同じだよ。

 あ、そうだ。ひとつ違いがある。〈おでん〉が置いてあることだ。それも1年じゆう。前の人から譲り受ける条件がそれだ。俺も神戸にいたとき食べたことがあるが、それは美味かった。前の店主、俺の親父の知り合いだったのだが、神経痛が悪化して淡路に引っ込むそうだ。東京に来たときに店に立ち寄ってくれて、そんな話を聞いて、里心がついたってわけだ。おでん出汁(だし)の作りも教えてもらったよ。待つのが嫌だったら、まずはおでんを注文しておくれ。
 店の大きさ?そうだね、東京の店を想像してくれたらいいよ。作りもたいして変わりがない。前の店も動き勝手がいいように工夫したけど、今度の店はそれ以上だ。揚げ物、焼き物、煮物、狭いながらよくこれほど使い勝手よく出来たもんだと驚いているよ。そんなのも気に入った理由だ。さー、『神戸深夜食堂』の開店だ!
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