「帝都東京の東の果て、最果てはチバシティ、ゴーストタウンから参りました、極東ゥー皇帝ー!!」

 ギターボーカルの阿佐ヶ谷さんがそう叫ぶと同時に、フロアからは野太い歓声が湧き起こり、何十本もの足がフロアを踏み鳴らし、小さなハコで地響きが起きた。

 叫び声のように不安を掻き立てる、でもそこが最高にいい、接触不良か気が触れたみたいなギター、

「次にウンチバって言った奴、死ね!」

 彼がシャウトすると失笑と怒号、スカスカの拍手、

「ウンチバー!」

「お前が死ね!」

「千葉帰れー!」

と、容赦無い野次が飛んで来る、それを掻き消すように始まったのが五拍子の名曲『暴走半島』、一拍余ってノリ切れない不愉快さも、催眠術のように繰り返されるリフに身を任せるといつしか快感になって、ぎゅうづめのフロアで私達は揺れ、こすれあい、どつきあって、モッシュが始まる。揃ってステージの方向を向いていたはずの私達は、擦れて、回転して、もはやどっちがステージかも分からなくなって、こんがらがって、どれが自分の肢かも分からない、今踏まれたのがそうか? 痛みさえもあいまいで、まるでシチューの具になった気分、乱暴に掻き回され、ずぶずぶと、愚かなジャガイモのように、脳が溶けていく。

 なんとか掴んだ最前列のバーを頼りにステージの方、阿佐ヶ谷さんを見やった。阿佐ヶ谷さんは何かにとり憑かれたようにギターを引っ掻いて、喚いていた。全ての音が、私の胸を裂いて傷跡を残していく。なんでこんなに好いんだろう。こんなに好きなバンドは他に無い。少しでもステージに近づこうとする凶暴なジャガイモ達によって、背中が激しく摩擦されている。このまま摩擦され尽くして、自分が無くなってしまいそう、だとしても、私の目玉だけは生き残って、阿佐ヶ谷さんを見つめ続けるだろう。こんなにたくさんの人に揉まれているのに、周りに他に何も無いように思える。うるさいのに、静かで、まるで息を引き取るかのように、気が遠くなっていく。……ああ、もうそろそろやめてくれないと、本当に死んでしまいそうだ。阿佐ヶ谷さん、そろそろ止めて、でないと、戻れなくなってしまう。

 ……というところで阿佐ヶ谷さんがギターを投げ捨て、マイクスタンドを蹴っ飛ばして、ライヴが終わるのだった。

 ライヴが終わっても生き残っている自分が不思議で、いつもホッとし、そして少し不満なのだった。まだ息があがって、いろんな人の熱量が首のまわりにまとわりついている。隣にいる恵梨香の顔をまだ見たくない。そうすると、自分の身体が完全に冷え固まって、自分に戻ってしまう気がする。

 数秒経つと、耳鳴りが残る耳に、いろんな人のお喋り声や、グラスと氷のかち合う音が戻って来る。そして全然素敵じゃない光景が、目の前に再び現れてくる――埃臭くてゴミだらけで、客電の暗さで汚さを誤魔化している、小さなライヴハウス。ロッカーも無くて、バーのカシスウーロンはほとんどウーロンだし、薄暗くて汚い、呑み屋やら怪しいマッサージ屋やらが入った雑居ビルの細い階段を伝って地下へ下る、地震か火事があったら間違い無く逃げ遅れるだろう、百人も入ったらぱんぱんになってしまう、そしてそこを、友達や、友達の友達や、見たことのあるバンドマンやら、うんざりするほど知っている顔ばかりが埋め尽くしている――そんな見慣れたライヴハウスの姿を目の当たりにして、失望するとともにやっぱりホッとするのだった。ああ、私はまだ生きていて、なんてことのないいつものハコに、突っ立っているのだ、と。

 目の前の、脛くらいまでの高さしか無いステージの上で阿佐ヶ谷さんがしゃがんで自分のエフェクターを片付けていた。アマチュアだから当然なのだがやっぱり片付けを自分でやるのは格好悪い。目の前に、つむじが無防備にあらわれる。臍の中みたいに白くて柔らかい皮膚が黒い髪の中に隠れている。指を伸ばしたら触れそう。ちゅんと甘い唾がこみあげてきて慌てて飲み込むと、汗だくの阿佐ヶ谷さんの喉仏を伝って、汗の玉が、シャツの中へ入っていくのが見えた。自分の指が入ったように、どきどきする。唾を飲み込みまくっていると隣の恵梨香が耳打ちしてきた。

「今日もいるね、バーガークイーン」

 その声で我に返った。中央二列目にいた私からは死角だったけれど上手の端を見やると、お決まりの場所に奴がいた。まるでライヴハウスの汚いジャガイモ達に決して触れられぬよう、少しでも距離をとろうとするかのごとく、人間大のスピーカーに密着し、カトリックのお祈りみたいに手を胸の前で組み合わせている。そして、ああ、やっぱり、その視線はぴったりと、阿佐ヶ谷さんに固定されているのだった。もうライヴ終わってるのに。そういう甘ったるい視線送っていいのは、音楽が鳴ってる時だけなんじゃないの。

 バーガークイーンが阿佐ヶ谷さんに夢中になっているうちに、私達も彼女を遠慮なくウォッチさせてもらう。フリルのたっぷりついた丸襟のシャツに、うちのトイレの壁紙にそっくりな小花柄のAラインスカート、これまたフリルがたっぷり仕込まれている。鉛筆のように痩せたティーンの女の子が着ればきっと素敵だろうけど、彼女は残念ながらほうれい線にファンデーションの粉が溜まる、お肌の曲がり角を曲がりきった三十代で。この混んだハコで、ただでさえボリュームのある彼女の占有面積が、フリルのお陰でさらに増えてしまっている。

「ウエディングケーキが歩いてるみたいだな」

 恵梨香が呟いたので危うくカシスウーロンを噴きそうになった。
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