カオリと私-1

 --ここはどこだろう、と思った。半身を起こした。あたりを見回す。ここは私のヴィラだ、と私は思った。--


<カオリと私-1>

 平成二十年の五月十三日、私は成田空港第二ターミナルビルの三階にいて、JL729便の出発を待っていた。
 フロア中央の時計を見上げると午後三時。そろそろかな、と出国審査に向かって歩き出したところを後ろから呼び止められて、ハッとした。
〈いっしょにゆこう〉と誰かが語っていた。
(だめ)と私は思った。(ひとりでゆくから)
 彼の手が、肩に伸びるのを感じた。(来てはだめ)振り切るように私は思う。(いきなさい。でないとまた、突き飛ばすから!)
「カオリってば!」
 考え事をしていたせいか、私は私の名前にすぐに反応することができず、ぼんやりとした気分のままゆっくりと振り返った。
「何度も呼んでんじゃん、無視すんなよな!」
 ビンテージジーンズにサンダル履きの男が手ぶらで立っていた。
「あ、タロちゃん」と、私はやっとまともに反応できた。男は私のボーイフレンド、ではなくて、それは昔のことで、このときはもう婚約者になっている--今は旦那です--青山太郎くんなのでした。なんて、書き方まで急に、いつもの私らしくなっちゃった。ってかむしろなんでかな、この文章の冒頭、私はいつもの私じゃなかったみたい。でも仕方ないかもね。だって書き始めたのはちょっととんでもないような話なんだから。というか、私が書き始めたのかな、これ、ほんとうに。なんて書いたりすると、また読んでくださる人が混乱しちゃうかもだけど、でも、なんて書かなくてもどうせきっと混乱しちゃうと思うから--っていうのは、とても変な話だからです--、まあ同じことなんじゃないかな。とかとか、私がこんなふうにまだるっこしく書くその訳は、このおそらくはそう長くはならないであろう旅日記を読み終えるころには、きっとわかってもらえると思うよ。
 だなんてのんびりと独り言を書き連ねてる場合じゃないよ。私がまた私でなくなる前に、というか、なくなってもこの文章は彼が書き続けてくれるだろうから、その点の心配はないんだけどね、でも、私じゃない私が私の恥ずかしいこととか書かないように、ちゃっちゃか、筆を進めたいと思います。
 ともかくあの日の午後、私は飛行機が飛ぶのを待ってたのでした。成田からデンパサール行きのチケットを手にして。
「おまえ、本当にひとりで行っちゃうんだな」と太郎くんは言いました。
「うん」と私は頷いた。「ひとりで行かなくちゃ」
「もうすぐオレたち結婚するんだぜ」と彼は言った。「新婚旅行で一緒に行こうよ」
「やだよ」と私は首を振った。「だからこそ、結婚前にひとりで行きたいの。青山カオリじゃなくて岡野カオリとして」
 書きながら、だんだんと自分が違う色に染まってゆくのを、私は感じる。なぜだろう、と思う。おそらくは一人旅だから、と私は内的に答えを出す。書いているこの私が結論しているのか、劇中の、いわば書かれているところの私がそう結論したのか、そのへんは曖昧だ。私は、ここにいて、かつあの日にいるからだ。
 日本にいるとき、私は青山太郎に染まった私でいる、ような気がする。だから私は旅に出たのか。海外旅行に出ると、私は限りなく私に近づく。言葉が自由に使えない環境にひとりきりで身を置くこと、それは私の洗濯だ。“選択”の誤字ではありませんよ。洗濯なのです。私は私を洗うのです。特に節目節目において私は私を洗います。新しい私になるために。赤い下地に、青いラッカーを塗るために、ひとまず白いラッカーを吹き付ける、みたいに。つまり下地を整えるわけです。私は私を整えたいのです。タロちゃんの妻になる前に私は、ひとまずそれまでのカラーにホワイトをスプレーして、しかるがのちに改めて、タロちゃんの妻色に染まろうと、そう考えていたのです。この旅はそういう旅なのでした。
 そのことはタロちゃんに何回も言いました、そりゃもう丁寧に。そしたら彼はこう言いました。わかってるよ、オレ、確かにカオリが変なのは知ってるよ、だからおまえの言ってること変だけど、それはそれでいいよ、でもなんでバリなんだよ、なんでウブドなんだよ、なんでピタマハなんだよ、そんなのオレだって行きたいよ、だってハネムーナーにはうってつけだと思うもん、バリ島のラグジュアリーホテルなんてのは、ふたりで行ってひきこもって、ゲッコーみたいにひっつきあう、そのための場所なんだよ、ああいうところは。みたいなことでした、タロちゃんが言ったのは。つまり、私の“洗濯”のことなんて全然本気で考えてくれてないのでした。
 でも最後には、わかったって、彼も折れてくれたのでした。だから成田エクスプレスに乗って、この日私は、ひとりで空港にやってきたのでした。私は本来の私に、文字通り一歩ずつシンクロしていたのです。なのに。なのにタロちゃんが来て、あの日の私ったら、タロちゃん色の私に強引に引き戻されて、したら、そのシーンを書いてるこの私も、やっぱりタロちゃん風の私になってしまった、というわけなのです。なんて書いてて、いいことを思いつきました。簡単なことでした。青山太郎くんのことは書かなきゃいいんです。登場したばかりで悪いんだけど、もう書きません。タロちゃんなんかに関わってる場合じゃないんです。私はあの少女のことを書きたいんです。だからタロちゃんのことは、あと数行だけ、はしょって書きます。私はもう一度短く“洗濯”の意義を彼に説き、嫌々ながら--もうすでに一人旅が始まっていたからであって、彼を嫌いになったからではないのだけど--軽いキスに応じちゃったりして--繰り返すけど嫌いなわけじゃない--、それから彼にバイバイと手を振って、そしたらもう振り向きもせず、セキュリティ検査のゲートをくぐり、ついでに携帯電話の電源もオフにしたのでした。重ねて書くけど彼を嫌いになったわけではありません。私は私になっておきたかったのです。そんなふうにして私は、日本と、日本の私を後にしたのでした。

 デンパサールから車で一時間、深夜に近い時間に、私は目的のホテルに向かった。
 運転手は陽気に過ぎず寡黙に過ぎないバリ青年で、女の一人旅に対して興味を抱くのでもなく、冷淡に徹するのでもなく、ニュートラルに親切だった。
 窓から見るバリの街は、格別神秘的なこともなく、昭和の形をしていた、ように私には思えた。
 遅い時間なので街に人影は少なく、野犬の影が多かった。犬の街のようだった。それを怖く思った。しかし、犬は、実は野犬ではなく飼い犬である、ということが後にわかった。バリでは犬を放し飼いにするらしい。人間と動物の距離が日本より近く、立場もより対等に近い、ように思えた。ペットとして支配的に可愛がるのではなく、例えば道をふさいでいる邪魔な犬を、通行人が容赦なく蹴ったり、そんな、命の対等さを私はこの土地に感じた。旅行者の感覚だから、むろん思い過ごしかもしれないが。
 車はやがて大通りを離れて、小さな森のような小径に入った。また怖くなって、ルームミラーを覗いた。すると運転手の青年は、眉を八の字にして笑ってくれた。心配ないよ、とその瞳は語っていた。私は心の中で謝った。
 窓の外は様相を変えた。辺りは闇だった。東京の闇とは違う。もっと濃密な闇だった。私は目を凝らした。木々のシルエットが見えた。その向こうには何も見えなかった。それは不在ではなく存在を暗示するような闇だった。ブランクではないということ。深い闇の、みっちりとした存在感、それを私は強く感じた。不気味、ではない。でも爽快では、もちろんない。癒やし、のようにも感じられたが、やはりそれ以上に“恐ろしく”感じられた。でも、敵、という感じはしなかった。気がついた。それは“懐かしさ”だった。よく知っているもの。私はバリの闇を懐かしく眺めていた。抱かれながら、怖れながら。
 車は街中に戻り、少し走るとホテルに着いた。
 ニュートラルなサービスに感謝して、運転手にチップを渡して車を降りた。
 鬱蒼とした闇、に包まれたような、深夜のホテル。虫の声。蛙の声。

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