忘れ去られた馬

 グラスに氷を入れて、ウイスキーボトルのキャップをひねる。ボトルを傾けてグラスに注ぎ、台所の蛇口から水を出してグラスいっぱいになるまで注ぎ入れる。

人差し指で軽く混ぜてからグラスのふちを唇に吸いつけて、中身を胃袋に流し込む。

それはまるで仕方なしに続ける仕事みたいだ。

飯を食うのも、女と付き合うのも、寝るのも、糞をするのも、すべて。

すべてが、くだらない仕事のように感じる。

 ウィンズの前でベンチに座り、発泡酒をあけた。一口飲んだ後、通りをはさんだ本屋をおぼろげに見て、それから視線を上げた。

空は調子よさそうだった。雲をひと房浮かべてみる余裕もあるようだ。

ベンチが置いてあるビルの壁際は日陰だったが、歩道は目がくらむほど明るかった。

ただそれだけだった。

空は青く澄んで、空気は滑らかで気持ちよく通り過ぎていく。

ただそれだけだった。

何もなく、ただそれだけだった。

俺はさっき見た。

逆光の中、馬たちが列をなす薄暗い回廊。肩をいからせながら通り過ぎていく墨汁を和紙にぶちまけたような黒い魂の連なり。

馬たちは確かに存在しているようだった。

しかし、この目の前では何も存在していない。

風が作ったノイズのような人影。そいつらはストロボを受けたようにカクカクと俺の目の前を行き交う。空は俺を馬鹿にしたように青く広がっている。

メインレースまで20分。馬券は買ったが、俺は何にも賭けられていない。



 風呂を世話してもらった、女の手首は傷だらけだった。

俺は彼女の中でイッタ。彼女は、イッタ後のタバコの効用を呆けている俺に言った。

女の胸は作り物だった。女も作り物だった。そして俺はインチキだった。

愛とは、地球上のすべての男に股を開く娼婦の源氏名だ。



悪魔がお前をすくいにやってきた

お前の腕めがけて

注射器が飛んでくる

皮膚をペリペリはがして

表裏ひっくり返す

カラフルな竜巻が 内臓を乾かしに来た


俺の馬は忘れ去られた。エスカレーターが打ちのめされた魂を地上に降ろしてゆく。

たいしたことはない。ラーメンと瓶ビールの夢が牛丼に変わっただけだ。

それでも、さも勝った風に、俺は黒い筋みたいにコンビニの自動ドアをすり抜けて、缶チューハイとタコワサとチキンラーメンをかっさらう。

今夜は宴にならざるを得ない。何であれ。勝利の美酒と敗北の涙酒。

何であれ、飲むにこしたことはない。

侍は死に場所を知っていたというが、俺は飲むときを知っている。

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