『闇米』



「塵中格外、おほく様子を帯せりといへども、参学眼力のおよぶばかりを見取会取すなり!

 人の居場所ってのはな、持った力以上の所にはねえんだ。

 どれ程願っても努力しても、得られねえ力ってのがあるんだよ。

 そんな高望みで、限られた人生の時間を使っちまうより、

今の御前さんで出来る事に精出す方が、得策ってもんじゃねえのかい。

 力なんてのはよ、そうやっているうちに後からついてくるもんだ。

 戦で死んで行った連中の分まで働こうったって、体は一つしかねえんだよ。

 忙しく走り回って、いっぱいゝの毎日じゃ、寿命を縮めるばかりだろう。

 それこそ本末転倒ってもんじゃねえんかい。

 第一番にだ、御前さんがやってる事は、本当に正義かい。

 周りに振り回されてばかりの濁り切った目じゃ、何が本当の事かも見えてねえだろう。

 何をやろうとしているのか、何をやらされているのか、分かっているのかい。

 大事な自分の立場さえも分からねえで、ただ言われたままに仕事をこなしているようじゃ、ここは御前さんの居場所じゃねえよ。

 悪い事は言わねえから、さつさと荷物まとめて出ていきな」

 飲み口の欠けた湯飲みに、濃い番茶を土瓶から注ぐと、そいつを小言相手に勧める男には、うっすら無精の髭が伸びている。

 この湯飲みを受けた大柄の男は、熱かったのか、御茶にちょいと口をつけただけで口答えを始める。

「そこまで言わなくたって良いじゃないですか。

 僕だって好き好んでこんな事をしているんじゃありませんよ。

 上がやれって言うから、仕方ないんです。

 こんな時に失業したくないですから、やるしかないんです」

 紅潮した顔の両眼は幾分赤く潤んでいるのを見るも、容赦なく小言の続きが煎餅を噛み砕いた口から出てくる。

「それだよ、今の御前さんが勝手に作った限界てのはな。

 ちょいとした力の壁で、簡単に弾き返されちまう程しかねえ。

 悔しかったらその壁に、ちっこい穴でも開けてみい。

 それが御前さんの力になるんじゃろう。

 なー、わしがごっつく後押ししたるで、やってみんかい。

 腐ったもんの中に浸かっとったら、御前さんまで腐っていくんやぞ、分かっとろう」

 無精髭を擦るのとは別の手が、目の前で今にも泣きだしそうな大柄の男の肩をたたく。

「言葉でそう言うのは簡単ですよ。でもね、僕は半年前に結婚したばかりで、来年には子供が生まれるんです。

 正直言うと、検察にだって、半分は叔父さんと父の七光りを合わせて十四光りでやっと入ったようなもので、今この職を失ったら生活できないんですよ、生きていけないんです。

 もう勘弁してくださいよ」

 感極まったか、大柄な身丈に似合わぬ涙が、男の目からコンクリートの冷たい床に一滴二滴落ちる。

「それは御前さんの事情じゃろう、捕まった者の事も考えてやらないかんくらい、検事なら知っとろう。

 人権ちゅうのを無視して、善良なる一般市民をとっ捕まえてもええっちゅう法律が出来たんかい。

 判事を長くやっとるがの、わしゃ、そげな改法を聞いておらんでの」

 先程から、検事に対して小言を並べ立てていた判事が、胸のポケットからゆっくり煙草を出す。

 机に置かれた大箱から一本のマッチ棒を取り、勢い付けバチンと大きな音を立てて火をつける。

 この音に、大柄な男は一瞬、肩をすぼめて身構えた。

 判事は、くわえた煙草にマッチの火をあて、勢い付け一息に吸うと天井を見上げ、大きく煙を吐き出す。

 しばしの静寂を破ったのは、大柄な男である。

「法を犯した者を裁いたらいかんのですか、検事の仕事をしたらいかんのですか。

 先輩は、僕に検事を止めろと言うんですか? 国へ帰って本家の厄介者になれと言うんですか!」

 ようやく冷めたお茶に手を伸ばしていたのを途中でやめ、判事が答える。

「そうは言っちょらん。

 御前さんは、今やっている事が、本当に正しい事だと思ってるんかと聞いとるんじゃ。

 おてんとさんに恥ずかしゅうないんか? 良心は少しも傷まんのか? 

 それが正義じゃ言うて押し通すんなら、わしら裁判官はいらんわな」

「言うとる事は分かります。でも、これが現実じゃないですか。

 間違ってはいないですけど、現実から目を背けているのは、先輩じゃないんですか!」

 この言葉に、怒りが沸騰したか、銜えていた煙草を灰皿に押し付けると、大きく開いた両の手を大上段に構え、勢いよく振り下ろし、机を力任せに叩いて大声になる判事。

「現実を見とるから、良心に従って言うとんのや。

 検事の中に一人でもヤミ米を食うてへん奴がおったら、今すぐここに連れてこい。

 したら、全員の勾留を認めてやるわ。

 おったとしてもどうせ栄養失調じゃ、棺桶に片足突っ込んどったら、ここまで這ってもこられんじゃろ。

 ようく聞けよ。

 食い物は命じゃ。

 命の糧をヤミで売り買いの何処が悪い、なー。

 どうせ弱いもんからヤミ米まきあげて、米屋か飯屋に売り払う算段じゃろ。

 小遣い欲しさの公安から突っつかれた取り締まりじゃねえのかい。

 御前、昨日今日に始まったヤミ市じゃねえんだ、検察なら先刻承知しとろう。

 何が情けないっちゅうて、御前等の昨今は意気地が無い。

 昨日まで大日本帝国万歳言うとった特高がじゃ、今日にはアメリカの後押しもろて返り咲いたかと思たら、今度は見境なしに気に入らんかった奴等を赤狩りじゃと騒いで殴る蹴る、彼奴等のやっとる事は戦の最中と何ーんも変わっとらん。

 あいつらに捕まって、五体満足でここに連れて来られた者がおったか?

 臭い物に蓋するしかでけへん特高崩れ如き腑抜に、簡単に乗っ取られよってからに。

 最近の公安見とると、負け犬がマッカーサーに尻尾振っとるようで無性に腹が立ってくるんじゃい。

 最も、そのマッカーサーの御蔭でわしも偉い口きけるようになったんやけどな。

 話戻そか。

 御前なー、特高がそんなに怖いんか、ションベンちびる程怖いんか、何年検察やっとるんじゃ。

 御前は生きてけるんか? 配給しか食わんでどれだけの者が死んでいった!

 ヤミ米が有るんおかげでわしら生きていられるんじゃろ。 二十人のおばちゃんから米取り上げてしもたら、何人の人間が腹すかせたまま一晩過ごさなならんか、何人の子供が食えんまま飢え死にするか考えてみいや。

 ひもじいのんがどれだけ辛いか、御前さんならよう知っとろう、なー。

 戦地に米送らにゃならんちゅうんで、折角作った米一粒残らず供出で持って行かれたな。

 毎日悔し涙流しながら食った芋の味忘れたんかい。

 あん時の、とうちゃんかあちゃんの顔、忘れたんか。

 忘れたちゅうなら、しゃーぁないけどなー。

 おばちゃんの大事な命のヤミ米取り上げても、まーだ弱い者虐めがし足りないちゅうんか。

 小言言うてんのとちゃうで、見逃してやったってと頼んどるんじゃ。

 ほれ、このとうり頭も下げたるわ。

 これだけ言うても人の頼みよう聞かんで、おばちゃんら捕まえて拘留するー騒ぐんなら、御前は鬼じゃ。

 地獄で人の肉食ろうてる鬼と同じやぞ。

 ヤミ米に生かしてもろときながら、同じにヤミ米食って生き延びようとしてるもんを、これだけ頼んでも御前は捕まえたいちゅうんかい。

 令状当番のわしに、人殺しの手伝いせえっちゅうんかい。

 いくら御前が高校ん時の後輩でもなー、こればっかりは一歩も譲れんわな。

 他の事なら少し~は融通効かせてやってもいいがのー、 

 なんぼ法律がそうなっとる言うても、わしがいかん言うたらいかんのんじゃボゲ!

 たとえこの場で判事の任降ろされても、わしは命張っておばちゃん逃がすけーのー、覚悟しときや。

 終いにゃマイトほん投げて検察吹き飛ばしたるぞ、ウリャ!

 検察官なら生きるにイッパイゝのおばちゃん捕まえる前に、やらにゃならん事が山ほどあるじゃろ。

 本当にとっ捕まえなならん奴等が、ぎょうさんおるやろ。 違うか?

 ここでこんな暇つぶししとらんと、あいつらしょっ引いてこいや、わしがしっかり御仕置したるで。

 今度つまらん事でわしん所に来たら、御前でも容赦無しに死刑判決だしたるからな、よう覚えとけや」



 昭和26年。

 大阪地検ではこの様にわめき散らす声が日常茶飯事のように響き渡っていた。

 大阪地検の総てがこういった状態では無い。

 ただ一人の裁判官周辺に限った現象である。

 終戦後の動乱期、大阪地検には、逮捕拘留されている者達の間で評判になった【我がまま放題の名物裁判官】がいた。

 困った時の神頼みは当てに成らないが、この裁判官に上手い事、当たれば何とかしてもらえると、弁護士以上に頼りにされ「神さん弁護士さんは要らんけど、どうか助けてくださいあみだ様」と唱えられた、阿弥陀嘉久一である。



 高知の旧制高校から司法の道に進んだこの男。

 日本全国の地裁を転々とする転勤族で、その地に馴染もうと方言で話す事を心がけていくうちに、あちこちの訛りが入り混じった独特の口調になってきている。

 今は傍若無人に形振りかまわぬ生態だが、産れついてのヤンチャ坊主では無かった。

 今の大都会に少数派として確認される亡霊の様な子供ではないにしろ、どんよりと薄暗く、点いているのかいないのか、昼間の防犯灯と同じ少年であった。

 高知という土地での事、周りが異様に陽気過ぎる子供達であったからか、尚更、其の場に居ても行方不明の子で、学校ではよく出欠を取り忘れられていた。

 阿弥陀の家は代々、役所勤めを生業とする武士の家系で、厳格な祖父や父親の影響も有り、成績は何時も群を抜くものだったが、その事に気付くのは、担任になった教師と母親だけであった。

 この家にあって成績が良いのは当然で、政府が幕府であった頃から、子供達はどれだけ他者より抜きん出て登り詰められるかを見られて来た。

 現代では職業選択の自由が当然の如き権利とされているが、当時は親が子の職業を決めるのが一般的な考え方で、嘉久一もその例外に無く、常日頃より、どの様な職業につくのが宜しいか、家族会議で議論されていた。

 成績は良いが人見知りな上に話下手で、融通も利かなければ友達付き合いも頗る悪い。

 パトカーに後ろを取られた教習車状態で、法定速度以上のスピードを出さない。つまりは、マイペースの極で生きている。

 この嘉久一が、まともに勤められる仕事など在るだろうかと探した時、候補に挙がったのが裁判官であった。

 もともと、波乱万丈・紆余曲折や反抗期と無縁である男の事、親の言うがまま地方判事となった。

 そのまま勢いづけるでもなく、根っからの大人しい性格を生かし、波風立たない無風地帯に置かれた昼行燈。

 教科書どうりの判決を連発していった結果は、本人も気付かぬうち、中央に対して私は人畜無害のイエスマンだと強くアピールしていた。

 暫く地方をまわってはいたものの、異例の速さで最高裁判所の椅子に最も近い東京高等裁判所への配属となった。

 前例を見ないスピード出世なのだが、いかんせん幽霊か陽炎の様に不確かな存在ゆえ、多くの新聞記者が出入していた裁判所でも、阿弥陀の配属を記事にするような物好きは一人もいなかった。



 阿弥陀は、東京勤務以前から判事として俗界の悪影響を受けないようにと、総ての外界情報を遮断していた。

 新聞は読まず、ラジオも聞かない。

 同僚と飲みに行くでもなく、裁判所と官舎の往復を繰り返し、読む本は法律書だけといった生活である。

 東京住まいになって間もなく、仕事を終えて帰りの電車を待っていると、女性に全く免疫の無い阿弥陀には飛切りの美女に見える婦女子が電車から降りてきた。

 世間を多少なりとも見てきた者ならば、その婦女子が闇米を買う金稼ぎに、カフェーで女給をしている者だと判ったのだろうが、阿弥陀にはその容姿が天女に見えるばかりだった。 

 それからというもの、仕事が有っても無くても、用事が有っても無くても、この天女を一目見ようと、駅で待ち伏せするのが習慣になった。

 今ならば完全に、危ないストーカーである。

 そうこうしていると、天女の顔姿を一目見れば用は無い駅でも、何時もの事に裁判所の同僚と会うのもしばしばで、何度か宵町に誘われると断れない。

 同僚と一緒に飲み歩き、世間話をするうち、世の中の事を少しなりとも知るようになっていった。



 今で言う所の、メイド喫茶のお姉ちゃんと同じ立ち位置の女性が、かたっ苦しい判事なんぞ相手にしてくれるはずがないと半ば諦めていた頃。

 同僚と飲んで帰ろうとしていた時に、少し先の路地がいささか騒がしい。

 酔った勢いで同僚と二人、集まり出した野次馬に混じって見ると、例の婦女子が進駐軍の兵士にからかわれている。 如何にも困り果てた様子が気の毒ではあったが、酔っていても判事という立場は心得た者で、無暗に止めに入って話を拗らせては後先困った事になるだろうと判断。 

 同僚と申し合わせ、MPが来るのをイラつきながら待つ事にした。

 その内に兵士が怒りだし、嫌がる婦女子を殴って投げ飛ばした。

 とっくに諦めていた筈だが、投げられて倒れ込む婦女子を見てしまっては怒り沸騰、抑えが効かない。

 阿弥陀が感情に任せて飛び出そうとしたのを、同僚が必至で抑えたその時、一人の男が兵士の前に立ちはだかった。

 見れば、みすぼらしく衣服の膝肘が破れた軍人の身成で、終戦から足掛け三年、何処ぞで捕虜のまま生きていたのか、陸軍だったようである。

 日米二人の兵隊がにらみ合い、帰還兵が一声を発した。

「Hoodlum goback to the home」

 敵国語として発する事も禁じられていた言語が、帰還兵の口から出て来たのに野次馬は驚いた様子で、意味も解らずざわついた。

 途端、酔って見境の無い米兵が殴りかかる。

 シラフの帰還兵が避ける。米兵が勢い余って倒れ込む。 

 何度かくりかえしていると、米兵は肩で息する程に疲れ果てた。

 そうなった所で、帰還兵が米兵を蹴り飛ばそうしたのだが、ろくに飯を食っていないのだろう、帰還兵は簡単に足をつかまれ担ぎ上げられてしまった。

 運悪く目の前で商いをしていた屋台に、凄まじい勢いで投げ飛ばされた。

 しかしながら、そこは酔っ払いと腹減らしの喧嘩である。

 ヨタヨタと情けないばかりのを笑って見ていると、幾度でも起き上がる帰還兵に呆れたか疲れたか、米兵が懐から拳銃をもち出した。

 これには流石にびびりちびりの野次馬、途端に蜘蛛の子散らしで其の場から散らばっていく。

 阿弥陀も逃げたかったのだが、根は意気地なしのくせに、一瞬で修羅場となった喧嘩の顛末が気になって動けない。

 ぼやっとしているところを、同僚から袖を引っ張られ、ようやく我に返ると、慌てて物陰に入り込む。

 そこには、れいの婦女子も怯えた表情で隠れていた。

「こんばんわ」

「……」

 阿弥陀にしては、初対面の挨拶はまともなものだが、いかんせん、この場の雰囲気が悪すぎる。

 それが良かったのか悪かったのか、後にこの二人は、夫婦になってしまった。

 先の事はさておき、阿弥陀が赤くなった顔色を冷ますように一つ大きく息を吸い込み、そっと物陰から喧嘩最中の二人をのぞき見ると、帰還兵が米兵に向かって唾を吐きかけ「Isthere that killed people 」と怒鳴った。

 帰還兵の言葉に米兵が一瞬たじろいだ所へ、遅ればせながらMPがやってきて一件落着の御粗末。

 少々の血が流れ、屋台はバラバラになったが、婦女子にたいした怪我は無く、帰還兵も上手い事逃げられたようだと一安心して阿弥陀は帰った。



 翌日、昼過ぎになって令状当番をしていた阿弥陀に、逮捕令状の申請が有った。

 昨夜の事件で、米兵と喧嘩をした帰還兵が、屋台を壊しておいて弁償もせずに逃げていったというものだ。

 いかなる事情による喧嘩か、どうして屋台が壊されたかは知っていたが、こうこうこういう訳だからとも言えない。 もっとも、氏素性がばれたからとて、帰還したばかりで何処へ行くかも分からん奴である。

 そうそう簡単に捕まるものかと、にやけ顔の阿弥陀。

 しっかり逃げてくれよと思いつつ、令状に判を押す。



 喧嘩の事を忘れた頃になって、屋台の損害賠償事件が上げられてきた。

 本来ならば簡易の裁判で事たりる事件だったが、事件の発端となった喧嘩の相手が米兵で、すでに帰国している処へもってきて、逮捕された帰還兵がアメリカに弁償させろと騒ぎ出した。

 進駐軍の弁護士まで出張ってきての厄介な裁判になってしまうからと、高裁にまわされてきたのである。

 人様に話せる事ではないが、この事件に少しばかり関わっていた阿弥陀は、被告の帰還兵に若干の好意と興味を持っていた。

 事件が自分の担当となった時には、まっさらな気持ちで法廷に臨めないとして、担当を断ろうとも思ったが、簡単に説明しきれる状況でもない。

 それに、何時も扱う事件と違って、良い気分転換になるだろうといったスケベ心もチラリと顔を出してしまった。



判事「特攻から捕虜になりとありますが、逮捕時陸軍の軍服姿だったのはどういった訳ですか」

被告「撃ち落とされて漂着した時に、特攻服では其の場で撃ち殺されると思い、近くにいた陸兵の服をいただいたからであります」

判事「いただかれた陸兵は、怒らなかったのですか」

被告「すでにくたばっておりましたから、怒られませんでした」

判事「志願して特攻になったとありますが、死体から服をはぎ取ってまで生き延びようとしたのは、志に反するとは思いませんか」

被告「死ぬのは怖くありませんが、つまらん事で死にたくなかっただけで有ります。

 今でも御国の為ならば、喜んで死ぬ覚悟はあります」

 こんな問答が延々と続き、事件の本質には殆ど触れずに判決が出された。

【損害賠償の義務はアメリカ政府に有る】としたもので、事件の一部始終を目撃していた阿弥陀からすれば至極当然なのだが、詳細を知らずに傍聴していた新聞記者には、驚愕の判決となった。

 敗戦国の色彩が強い時代に、アメリカ政府に壊れた屋台の修繕費を支払えと命じた判決を出した阿弥陀裁判官の話は、アメリカに強い劣等感を抱いていた日本国民にとって、少しばかりの反抗心を満足させてくれるものであった。

 この話はヒメカサゴのように、そこら中で派手な尾ヒレ・背ビレ・くびれを付けて膨らみ、瞬く間に評判となっていった。

 配属された事さえ気付かれなかった阿弥陀であったが、この一件で一躍時の人となり、どんな事件でも新聞記者が傍聴する。

 こうなると事件の事はそっちのけ、面白おかしく法廷の阿弥陀様として記事にされていった。

 ついでといっては何だが、司法に対する庶民の好奇心はうなぎのぼり。

 これを満足させるため、裁判所全体に対する取材合戦は、日にゝ過剰かつ過激になっていった。

 収拾のつかない凄まじい状況を、見るに見かねた高裁は、記者が直接判事に取材する事を禁た。

 同時に、裁判所の取材応答は総て広報が行うとして、事実上記者を裁判所から締め出したのである。

 阿弥陀がとんでもない判決を出したばかりにと、事件の内容がどうであれ、判決の是非に関係なく、所内で敬遠される存在になったのは御想像のとうりで、この事件までは同僚との付き合いもそこそこ有ったのに、すぐにそれ以前の、とっつきにくい引籠り阿弥陀へ逆戻りしてしまったのは言うまでもない。



 裁判所と下宿の往復、読書だけの生活に戻った阿弥陀だが、以前は法律本しか読まなかったのが、ここに来てありとあらゆる本を読みあさるようになった。

 チョイと街に出ては本屋を覘き、気になる本は迷わずに買い求める。

 裁判所の帰りには古本屋を覗き、面白そうなのは無いかと店主に聞いて回る。

 休日ともなれば、何件もの本屋を周り、重くて運ぶのに一苦労するほど買い求めて来るのだが、それを部屋に運び終えても、家ではまったく読む気配がない。

 不思議に思った官舎の守衛が、荷物運びを手伝いながら阿弥陀に聞いた。

「書生でも学者でもないのに、何でそんなに本が欲しいかね。第一、あんたが本を読んでいる姿を、私は一度も見た事がない。どういった了見です」

「面白そうなのが有ったら買っておくんですよ、読む暇が出来ても本がなかったら読めないじゃないですか。それに、読書なら毎日やってますよ。私の読書法ってのは【積ん読】ってやつでしてね」

 一見、昔のままに戻ったようであったが、この時期辺りからこの男、じんわりプチ崩壊が始まっていたらしい。



 世間に気付かれない程度の微妙さで壊れ始めて一ケ月ばかり過ぎた頃、積読々書の引き金を引いた張本人である帰還兵が、またもや高裁に現れた。

 帰還したばかりと違い、検察官や弁護士より高価なスーツを着込み、身のこなし方からしても堅気でないのが判る変わり様である。

 帰還後間もなく、千葉は九十九里に一人きり始めたヤクザ屋家業。

 思い切りの良さと人情の厚さで多くのブレーンに恵まれ、着実に子分衆を増やし成長した、山城組初代組長・山城健太の若かりし頃がこの男で、後に阿弥陀とは互いに「困った腐れ縁」と言い合うほどになって行く。



 山城は、闇市の一斉摘発に引っ掛かり逮捕された後、地裁で有罪判決を受けたものの、戦前からの強い後ろ盾と優秀な弁護士からなる援護を背中に満遍なく受け上訴していた。

 一般的な闇屋ならば、これまで闇市を黙認して来た警察との癒着から、事前に一斉摘発の情報が流され、簡単に逃げ切れたのだろうが、山城が率いる闇屋は、金町浄水場近辺の空き地に予告も無くトラックで乗り付け、勢いに任せて売り切って逃げる。

 今で言うゲリラライブの様な闇屋であった。

 それなりに筋は通していたが、闇屋の勢力図が猫の目の様に変わってしまう時代、総ての組織に話が通っている物ではない。

 山城の動きに、強い嫌悪感を抱く者も少なくなかった。

 山城の家は地元で代々の網元で、九十九里一帯を根城にする玄武一家との付き合いがあった。

 漁の魚を米に替え、申し合わせた何人かの闇屋と一緒に千葉から金町までトラックを走らせては荒稼ぎをしていた。

 橋での検問を逃れる為、松戸岸から金町岸まで渡したロープに物資を縛り付け、川面を這うよう引き寄せトラックに積み込む時が最も無防備である。、

 ロープを張った川岸から離れた場所に放火したり、空荷のトラックに検問を突破させたり、野垂れ死にした死体を河に流してみたりと、その都度、揺動にはかなりの知恵と労力を使っていた。

 おりしも、GHQが正式に闇市の撤廃を表明した時期と重なり、闇屋にとって厳しいばかりの判決が出される中、阿弥陀の問題判決から僅か一年足らず、同じ被告が闇屋で捕まったとあって、東京高裁での裁判が決まった途端、記者達が一斉に広報へと押し掛けてきた。

 記者も山城も、高裁からすれば実に厄介な御客さんである。

 山城に対して興味の尽きない阿弥陀を除き、この事件に関わろうなどと思う者は、ただの一人もいなかった。

 火種を撒き散らしのだからとばかり、無作為の順番は無視され、当然の様に山城の事件担当判事は阿弥陀となった。 阿弥陀に尋常な判断力が残っていたならば、この場合即座に担当判事は辞退すべきであると気付いただろう。

 いかんせん今は、法律書以外の本や見聞きする噂話、新聞雑誌等から、一般社会人が知る所の生きる為の知識を吸収して脱皮変身した、未知の生物になっている。

 これまで気にもしていなかった【法が指し示す理不尽】に気付いた阿弥陀にとって、この裁判は法律の矛盾、悪法を広く国家天下に知らしめるのには千載一遇の機会だと思わせるに十分な御膳立てであった。

 うっかりうかつ有頂天にも、真向引き受けてしまっている。



判事「ヤミ屋は他にもいただろうに、捕まったのは貴方だけですか」

被告「はい、自分だけで有ります」

判事「どうして貴方だけ捕まったのですか」

被告「自分が盾になって仲間を逃がしたからであります」

判事「自分は捕まってでも逃がしたい仲間なのですか」

判事「分かりません、捕まる前の晩に酒を一緒に飲んだだけでありますから。へへっ」

判事「今度やる時はもっと上手くやってくださいね、もう捕まらないようにしてくださいよ」

被告「へい、すいやせん」

判事「検察にうかがいます」

検察「なんでしょう」

判事「闇屋の証拠として没収した品の一覧に、米、芋、魚と有りますが、この中で魚は今、何処にありますか」

検察「腐敗が酷く廃棄されております」

判事「米と芋は何処にありますか」

検察「現在は証拠として警察の保管庫にあります」

判事「……おい、盗人。いい加減な話をする気ならテメエをぶち込むぞ。俺はよ、つい今しがた、御前さんが言う警察の証拠保管庫とやらに行って来たんだがよ、随分と前に公安とGHQが来て持って行っちまったらしいぜ、米と芋、マーカットにくれてやったのかい。

 有る所から持っていくなら黙っていようと思ったがよ、ヤミ市の米芋まで持ってくような奴は盗人じゃろ。なあ、御前さん盗人の一味じゃろ。それとも何だ、御前さんだけが知らなかったとでも言う気かい。

 もう一度よーく考えて答えろや。被告がヤミ屋だっちゅう証拠の米に芋と魚は、本当に有ったのかい。何かの間違いじゃないのかい」

 証拠不十分とした阿弥陀の判決は無罪。

 山城は即時放免され、検察は上訴を諦めた。

 誰もが知っていたが、追及してはならない法の裏側をさらけ出した判決で、またもや阿弥陀は新聞紙面を賑わす結果となった。

 この判決を出したことにより、阿弥陀は最高裁への道を完全に断ち切られた。

 それは彼自身、担当判事になった時から覚悟していたので、たいした問題でなかったが、四国の実家から、やいのやいのと責めたてられるのが少々応えた様子で、一週間ほどの休暇を申し出ている。

 レッドパージが盛んな折、公安から監視対象にされるような判事に居てもらっては困るのが本音の処、本人から一週間の休暇願いが出された途端、渡りに船と、最高裁はなりふり構わず、阿弥陀を地方裁判所に放り出した。

 地方に飛ばされるのは想定範囲内の出来事で、辺鄙な地域にまわされれば、読みたい本もなかなか手に入らないだろうからと、東京にいるうちに給料の大半を注ぎ込み、大量の本を買いあさっていた。

 引っ越し荷物は、その殆どが本だった。

 

 移動させられたからと反省するでもなく、当時は異常とまで騒がれた阿弥陀の基本姿勢は変わらず続いた。

 判断・判決は、一環して法の矛盾を糾弾するものである。

 赴任して判決を出す。転任を命じられ、赴任先で判決を出しては転任、目まぐるしく転居を繰り返した。

 

 移動の度に読み終わった本を売ってから転居する。

 残る本が幾らもなくなった頃になって、大阪地検に辿り付いた。

 深刻な物不足であった戦後間もない時期、日本全国何処へ行っても闇市を仕切るのは裏社会の者で、組織によっては、利益の殆どが闇市からのあがりであった。

 大阪も闇市事情の例外になく、新参者が闇市を開こうものなら、縄張り荒しとして即座に妨害の手が回された。 

 それは、主催する者への直接攻撃であったり、闇市に出入する者への嫌がらせであったり。

 ありとあらゆる方法を駆使し、新規の市場潰しに精を出す。

 必然的に、物は有るが売場の無い者達が何かを持ち寄って人様に売ろうとした時、現代の様にガレージセールやフリーマーケットといった平和的行事の主催とはいかず、力に自信のある者を表に立て、東京で山城が行ったようなゲリラ闇市の開催にたよる事となる。

 これまた当然の成行で、警察との癒着甚だしい戦中戦後と続いてきた常設闇市を主催する組織は、既得権を死守すべく、前記のような攻撃を仕掛けて力と力の攻防戦が繰り返し続けられる。

 ゲリラ闇市を主催する組織と、常設闇市を主催する者の衝突は日常的な物となっていた。

 冒頭、阿弥陀がおばちゃん達の拘留を認めなかった闇市一斉摘発の時、ゲリラ闇市の開催を密告した闇屋と、ゲリラ闇市を主催した闇屋が衝突していた。

 この集団暴力事件で、組織関係者だけでなく、警官や一般人まで、何人か病院送りにされている。

 喧嘩両成敗は、どの時代と言わず、大方裁く者裁かれる者両者が納得する所で、表向き其の場の全員が警官隊によって拘束されたが、常設闇市側の関係者は取り調べもそこそこ即日釈放、起訴どころか拘留さえされずに解き放たれた。

 一方、ゲリラ闇市側の者は、拷問に近い厳しい取り調べの後に逮捕拘留され、全員が検察によって起訴されていた。

 普段から満遍無く裏金をばら撒き、警察・検察・政治関係者を飼い慣らした組織と、一切権力側に金を支払わず、利益の殆どを虐げられた者の救済にまわす組織の金の流れからみれば、至極当然の成り行きである。

 理不尽極まりない現実が、当時は避けて通れない事実であった。

 たとえ、国家が身分を保証した警察、検察官であっても、弱者を犠牲にしなければ己が死んでしまう。

 自分一人生きて行くのでさえ、精一杯の時代だったのである。

 各地に点在する闇市での暴動騒ぎは、当時の新聞で連日大きく報道されているものの、裏側に潜んでいる腐敗体制を、深く追求した記事は殆ど見当たらない。



 運悪く、東京から客人として大阪に招かれていた山城が、この乱闘事件に巻き込まれ逮捕されていた。

 配属されたばかりの阿弥陀と、たまたま逮捕された山城。 因縁の阿弥陀・山城判決が、またもや出されるかと記者の間で興味本位の噂が飛び交う中、事件を知った時点で阿弥陀は、担当判事にはしないでくれと申し出ていた。

 事件そのものは単純な喧嘩であったから、判決は直ぐに出された。

 殆どの者は執行猶予付きの判決であったが、闇市の主催・暴動の先導・傷害事件の主犯と、其の場で起きた罪の一切合切を一人で被った様な罪状で起訴された山城に対する判決は頗る厳しいもので、たまたま客人として闇市を覗いた時、喧嘩騒ぎに巻き込まれ、正当なる防衛をした被告は無罪であるとの弁護側主張は一切認められず、政治犯並に執行猶予なし禁固10年の実刑判決が出された。

 山城に判決が言い渡された日、阿弥陀は自主退官し、大阪地方裁判所を去っている。



 即日上訴した山城に、弁護士と共に面会する者がいた。 

 退官したばかりの阿弥陀である。

 阿弥陀は退官すると同時に、ヤメ判弁護士として開業たものの、表立って山城の弁護活動をすると、マスコミの騒ぎが鬱陶しくなるのは眼に見えていた。

 この件に限らず、今後は裏方として、山城に強力していきたいと告げに来たのだった。

 今まで、山城の弁護をしてきた矢羅逗弁護士を主軸とした弁護態勢を維持したまま、これまで各地の地裁で蓄積してきた判事の弱点を徹底的に突いてやると、意地の悪い笑みを見せている。



 時代は昭和から平成へと移り、この間、阿弥陀は山城の法務上の良きブレーンとして絶えず後押しを続けて来た。

 関東関西と在所は離れていても、阿弥陀と山代の腐れ縁は続き、闇米をヤミ米と書く時代になってからは、新米が出来れば、山城が阿弥陀に【闇米】と表記した荷を贈る。

 これが届けられると【ヤミ米有難う】と、阿弥陀が山城に礼状を出す。

 毎年米が送られてくると必ず「それは闇米かい。茶漬けにしてくんなよ」と言い、暫くして出される茶漬けを美味そうに食うのが、阿弥陀家の年中行事になっていた。



 嘉久一が子や孫に看取られ他界する二月程前、山城から米が送られている。

「それはヤミ米かい。握り飯にしてくんなよ」

 阿弥陀嘉久一が健在であった頃、最後の写真。

 秋晴れの縁側で日向ぼっこをしながら、握り飯をほおばっている。



 ニコニコと眺めては一口、また眺めては一口。



 ゆっくり。



 ゆっくり。

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