ある日の少年

 お題は「少年」、「老人」、「星」

「坊主、何してる」
「……」
 老人は道の真ん中で立ち止まっている少年に後ろから声をかけた。
 少年は動かない。老人は少年の肩に手をかけて、もう一度呼んだ。
「おい、聞いてるか」
「……」
 それでも少年は無言で立ち尽くしている。
 老人はしかめっ面で少年の前に回り込み、真っ正面から少年の顔を見た瞬間に驚愕した。
 少年は仮面をつけているような真っ白な肌を乾いた土で汚し、黒目は少しも動かずにただ開かれているだけだった。
 少年からはまったく生気を感じられない。まるで置物のようで、美しいと老人は思った。
 惹き付けられた老人は少年の頬に手を伸ばし、微かに震えながら触れた。
「おじいさんは、生きるのに理由がいると思う?」
「!?」
 老人は突然に声がしたことに驚いた。声変わり前のよく透る声が老人の鼓膜を揺らした。
 びくっと肩を振るわせた老人は半歩後ずさり、少年の顔が変化していることに気づいた。
 少年と目が合う。
「生きておるのか?」
「もちろんだよ。考え事をすると動かなくなるだけさ」
「なぜ動かずにいられる?」
「意識を思考につぶされちゃうんだよ。」
 少年の口の端が僅かにあがる。とても綺麗な微笑みだ。
「変なやつだな。病気か?」
「ぼくにとっては当たり前のことだから、考えたこともないよ」
「今まで変だと言われたことがないのか?」
「言われたことはあるけど、みんなどこか違うんだから気にしなかったよ」
 自分のことは分からないものだ。疑うのは難しい。
 老人はゆっくりと少年を理解する。
「坊主はどこの子だ? 親は?」
「分からない。気づいたら僕は僕だったんだ。分からないけどただ真っすぐ歩いて来た」
「記憶がないのか? 名前は?」
「名前? 他の人は『おい』とか『おまえ』とか言うけどこれは名前ではないんだよね? じゃあ、分からない」
 老人はしかめっ面で少年の分析を始めた。
 この年で親もなく一人。そして汚れた身なり。シャツとズボンに裸足。
「スラムの坊主かもしれんな」
「スラム? そこが僕がいた場所?」
「断定はできん。あそこの連中は親がいないガキが肩を寄せ合ってるし、おまえのような身なりだ。ガキがガキを育てるなんてあることだ。名前もないやつがいる」
 が、少年のような顔はそういないだろう。
 少年は表情を変えずに言った。
「そうなんだね。おじいさんありがとう」
 少年はそのまま歩いていこうとする。
「おい、どこへ行く」
「このまま歩いていったらどこに行くのか知りたいんだ」
「坊主ひとりじゃあすぐ死ぬぞ」
「じゃあ、おじいさん一緒に行こうよ」
 ああ?と老人はイラついた。
 少年が老人の手を取ったそのときだった。少年と老人は浮いた。
「なんだこれは!」
「ああ、思い出したよ。僕はおじいさんを迎えに来たんだ」
「なんだと? どういうことだ」
「僕は天使だよ。いや、現実世界では死神かな? まあ、どちらでもいいけど」
「わたしは死んだというのか? そんな記憶はないぞ!」
 少年は紙切れをポケットから出した。
「ええと、おじいさんは寝てる間に心臓発作で急死してるよ。だから気づかなかったんじゃない?」
「馬鹿な……」
「おじいさんの家に行ってみる?」
 そう言うと風のように少年に連れらて老人も空を飛んだ。
 すぐに老人の家に着いた。窓から中を見る。
 ベッドの上には老人が眠っているように横たわっていた。
「なんてことだ。わたしがいる」
「ね? 本当だったでしょう」
 老人は初めて自分の身体をまじまじと見た。こんなにも年を取っていたのか。
「これから、どうなる?」
「僕と一緒に神様のところに還るんだよ」
「そうか。なら早く連れてってくれ」
「別れを言いたい人はいない?」
「そんな奴はいない。この世界が嫌いだったからな。ちょうどいい」
「そう、じゃあ僕に付き合ってよ!」
 少年はまた老人を連れて飛んだ。ただ真っすぐ。
 羊の毛を刈る人、萎びた野菜を掘る人、馬に乗って疾走する人、海を航海する船、地平線に沈む太陽がずっと見えていた。
 夜になれば街明かりが眩しかった。そして星がこんなにもたくさんあることを思い出した。
 老人は地球に名残惜しさを感じていた。
「ああ、わたしは何も見てこなかったのだな」
「そんなものだよ。だから何回も転生できるんだよ」
「なんだ、またこの世界に生まれろというのか」
「この世界だけじゃないよ。もっとたくさん世界はあるんだ」
「そうか」
「今日は僕に付き合ってくれてありがとう。さあ、神様のところに行こう!」
 すると一瞬で真っ白な風景に変わった。
 目の前には渦巻きが見えた。
「これが神様だよ。ただいま帰りました」
「この渦がか?」
「渦に見えるのはおじいさんだけだよ。それがおじいさんの思い描く神様だから」
「まぁ、いい。わたしは疲れた。神様とやら、休ませてくれ」
 渦巻きは老人を飲み込もうとした。
 老人が消えそうになったとき、
「坊主、お礼に名前をやる。お前の名前はイェルカだ」
「イェルカ? 僕の名前?」
「そうだ」
 老人は渦巻きに消えた。
 少年は誇らしげに呟いた。
「僕の名前はイェルカ」
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