17 レバノン内戦(3)

 1996年にイスラエル国内で連続爆弾テロが発生し、ヒズボラの犯行としたイスラエル軍はレバノン南部を空襲します。この時、レバノンで難民救援活動を行っていた国連レバノン暫定駐留軍のキャンプが集中砲撃され、イスラエルは非難されました。イスラエル軍は2000年に南部から撤収しますが、空白地帯に素早くヒズボラが展開し、イスラエルに対する攻撃を行います。

 1992年10月反シリア派のハリーリー(サウジアラビアに大会社を持つ実業家)が首相として就任し、レバノン経済を立て直しにかかります。しかし、イスラエルは南レバノンの占領を続け、ヒズポラへの報復攻撃として首都空爆を繰り返し、経済復興の兆しを破壊してしまいます。

 2003年9月、国連安保理によって、レバノンの領土保全、主権、政治的独立などに関する安保理決議1559号が採択されます。 ハリーリーが2005年2月に爆弾テロにより暗殺されると、政情はまたまた悪化、政府と国民との軋轢も拡大し、「杉の革命」と呼ばれる抗議運動が始まりました。
 その要因となったシリア軍のレバノン駐留に対し、国際世論も同調し、シリア軍は同年4月に撤退を余儀なくされます。結果、同年5月から6月に行われたレバノン総選挙では、シリアの威嚇も意に介さずハリーリーの盟友であり、その後継となったフアード・シニオラを旗頭とする反シリア派が勝利したのです。しかし、この新たな反シリア内閣も南部を中心に公然たる軍事力を行使する親シリア派を無視できず、結果としてヒズボラ等から6人の親シリア主義者閣僚を受け入れざるを得ませんでした。

 2006年7月にヒズボラがイスラエル兵士2名を拉致、イスラエル軍は報復として南部の発電所などを空爆、続いて空爆は全土に拡大され、ベイルートは海上封鎖されました。7月22日にはイスラエル地上軍が侵攻し、南部の2村が占領されます。しかしレバノン軍は基本的に中立を保ちました(これはイスラエルとヒズボラの戦いであると言うのが政府の立場)。7月27日、国連レバノン暫定軍の施設が空爆され、国連職員4人が死亡、7月30日にカナが空爆され54人が死亡、8月7日レバノン政府がイスラエル軍の攻撃による死者が1000人に達したと発表。8月13日にイスラエル・レバノン両政府が国連の停戦決議受け入れを表明。10月1日にイスラエル軍が撤収します。

 この一連の戦闘に伴い、レバノン国内でのヒズボラの政治的及び軍事的影響力は以前にも増して高まり、反シリア派対親シリア派の衝突は続きます。
 2008年レバノンのスライマーン大統領とシリアのアサド大統領が会談し、国交正常化にやっと合意しました。レバノン政府は2006年のイスラエル侵攻時の被害の修復を進めるとともに、地中海での天然ガス田探査計画を外国企業と進めるほか、観光施設の充実を図るなど経済的回復を進め、一応の安定をみせていました。
しかし、2011年3月以降のシリア情勢の変化で、レバノンは中立の姿勢を保っていますが、シリア難民の大量流入、シリアからの過激派勢力の侵入による治安の悪化、主要産業である観光業収入の激減による経済状況の悪化等、シリア危機はレバノンに深刻な影響を現在与えているのです。

以上、分かったでしょうか?こと左様に大変なのです。ブッシュもこの歴史を学んでからイスラームに関わるべきだったと思うのですが、はてさて・・
日本の首相は、断じてアメリカの片棒を担いで、中東問題に絶対に介入すべきでないことだけは断言出来ます。

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