13 宗派対立

 カリフはムハンマドの子孫であるべきだと主張する派(シーア派)と、子孫の中からではなく、話し合いによって皆から選ばれたものがカリフとなるべきと主張する派(スンニ派)に分裂してしまいます。

スンニ派(もしくはスンナ派)
イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。また、多数派である事や歴史的な事情などから「正統派」などと言われています。

シーア派
シーア派の信者は、イスラム教徒全体の10%から20%を占めると推定され、2009年には、信徒数は約2億人と推定されています。イラン、イラク(全人口の3分の2がシーア派)、レバノン(人口の半数以上を超えているといわれる)、では多数を形成しています。

 イラン革命をシーア派が担ったことで原理主義者=過激派と思われがちですが、シーア派の実態は分派、学派、時代、地域によって様々であり(スンニ派も同様)、その政治的・宗教的姿勢を一概に言うことはできないのです。
 過激派と言われるムスリム同胞団はスンニ派です。世俗法ではなくイスラーム法(シャーリア)によって統治されるイスラーム国家の確立を目標としているのはどの派にも存在するのです。

*シャーリアとはコーラン、ムハンマドの言行にのみよる法をいい、民法、刑法、訴訟法、行政法、支配者論、国家論、国際法(スィヤル)、戦争法にまでおよぶ幅広いものであります。シャリーアのうち主にイスラーム教の信仰に関わる部分をイバーダート(儀礼的規範)、世俗的生活に関わる部分をムアーマラート(法的規範)と分類します。また、イスラーム共同体(ウンマ)は、シャリーアの理念の地上的表現(理想国)としての意味を持つとされます。
 シャリーアが六法全書と国際法を合わせたような性格を持つようになったのは、預言者ムハンマド自身が軍の指揮官であり国家元首であったことが大きく関わっているのです。

*イスラーム教における世俗法(カーヌーン)とは、為政者が制定した法制度のことであります。イスラーム法(シャリーア)によって統治されている国では、シャリーアが憲法に相当するもので、カーヌーンは行政法のような位置づけとなっています。 カーヌーンの内容がシャリーアに違反していれば憲法違反と同じ事になりますが、実際にはシャリーアの拡大解釈的にさまざまな世俗的規定が設けられていた。例えばシャリーアでは利子を禁止しているが、暴利でなければ良いと拡大解釈して10%までの利子を認めたり、飲酒についてムスリムとしての義務を忘れなければよいと解釈して酩酊しない範囲での飲酒を合法とするなどシャリーアを世俗化する役目の面ももちゃわせています。
平たく言えば、厳密に適応すべきと考えるのを原理主義、イスラム主義、ある程度西洋風の価値感を入れようとするのを世俗主義といい、前者は後者を堕落したものと見ます。

 西洋の価値観(民主主義)がイスラームに敵対したものと考えられるのは、西側の行って来た行為に問題があるのではないかと思うのです。ソ連の社会主義も同じであります。いくらいい考えでも、殴られて強制されるものではありません。反発を強めるだけで、アメリカ(西側諸国)が嫌う原理主義は彼らが生み出したものと私には思えるのです。
 最近の復古運動は時に反帝国主義・反共産主義・反イスラエル・反米などの意識と結びつき、過激な無視できない潮流となっています。今、アメリカに国家としてまともに戦争を起こせる国があるでしょうか。戦争をするなら、テロ以外に方法はないのではないでしょうか・・私には絶望が生み出した戦いにしか見えないのです。

 また、シーア派が問題視されるようになったのは、イラン革命以後といってもよいでしょう。イランの対岸にある湾岸諸国は、国内に多数のシーア派の住民が存在しているために、イランが革命の「輸出」をして現政権の転覆を図るのではないかと危惧しているのです。
 スンニ派の政権にとって、シーア派は「脅威」となっているのです。その結果、政権側のバランスのとり方次第では、現在のイラクのように、シーア派とスンニ派が戦うという、いわゆる「宗派対立」の図式に発展する結果を招いてしまうのです。

 あるイスラーム研究者はイスラーム圏に住んだことのある日本女性の言葉としてこのような例を上げています。
「イスラーム教徒ではない私たちからみれば、宗教指導者でもない限り、基本的に外見や行動からシーア派とスンニ派を区別することは難しいでしょう。日常生活において、シーア派であるか、スンニ派であるかを問われるような場面もほとんどありません。日本に来た私のイスラーム教徒の友人は『なぜ日本人は、私がスンニ派かシーア派か尋ねるのですか?アラブ人同士で、そんな質問をされたことは今までありませんが、なぜ気にするのですか?』と尋ねられたほどです」と・・。
 
宗派対立について、私はこれが本当のところだと思っています。ややこしくしているのは腐敗した政権と、自己の利益を優先する大国の干渉であると言えます。

【アラブの春について】
 その研究者はこのように分析しています。
エジプトやチュニジアでは、民衆による抗議デモの開始から、政権が崩壊するまでの期間はわずか1カ月でした。このスピード崩壊の背景には、軍が大統領を見限るという両国で共通した展開がありました。軍が為政者を見限ったからこそ、スピード崩壊が可能になったといっても過言ではないでしょう。
 ところが、シリアでは政権側が抵抗運動を徹底的に弾圧しても、軍は大統領を見限らなかったのです(自由シリア軍の一部離反はあった)。これがエジプトやチュニジアと決定的に異なっている点です。抵抗運動開始から3年が経過し、16万人ともいわれる犠牲者を出しながらも、軍が現在でもアサド大統領から離れていないということは、シリア情勢を分析する際のひじょうに重要なポイントです。と・・。

 エジプトでは軍が出て事態を収拾したかに見えますが、改革を途中にされたという思いの勢力は多く、火種は残したままだと言えます。軍によるクーデターは指導者を見限ったというだけで、本当に民衆側に立ったとは言えないのです。私は泥沼も嫌ですが、軍が出るクーデターもあまり好きではありません。

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