10 アメリカの介入

アフガニスタンにおけるアメリカ兵士

【イラン・イラク戦争(1980)】
 イランの孤立化を図るアメリカが、イランの原理主義が勢力を持つことを恐れていたフセインを唆した戦争と言われています。米国およびその同盟国はイラク(フセイン政権)に武器と技術を供与します(タダではないですよ)。この戦争は1988年、国連安保理決議を受け入れてようやく終結、8年に及ぶ戦争で犠牲者は100万とも言われ、双方、経済的な損失も莫大なものでした。
 一説では、この戦争を通じてイラクがクウェートに対して抱え込んだ負債を帳消しにすることが、クウェート侵攻の目的のひとつであったとされています。

1991年の湾岸戦争にあたっては、イランは中立を維持したもののアメリカに批判的で、イラク航空機および難民のイラン入国を許しています。

【湾岸戦争(1990)】
 1990年8月にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月にイラクを空爆した事に始まった戦争。

 イラク・イラン戦争が終わりましたが、戦争中にアメリカ合衆国やソ連邦などの大国や、ペルシア湾岸のアラブ諸国に援助されたイラクの軍事力は、イスラエルをのぞいた中東では最大となりました。しかし、イラクは600億ドルもの膨大な戦時債務を抱えることとなり、戦災によって経済の回復も遅れていました。イラクが外貨を獲得する手段は石油輸出しかありませんでしたが、当時の原油価格は1バーレル15から16ドルの安値を推移し、イラク経済は行き詰っていました。
 イラクが戦時債務を返済できないことから、アメリカは余剰農作物の輸出を制限し始めます。食料をアメリカに頼っていたイラクはすぐに困窮してしまいます。また、アメリカが工業部品などの輸出も拒み始めたことで、石油採掘やその輸送系統についても劣化が始まり、フセインは追い詰められていきます。戦争では支援し、平時には支援を惜しむ。なんだか変ですね。

 OPECに対してフセインは原油価格を1バーレル25ドルまで引き上げるよう要請していましたが、聞き入れられませんでした。クウェートとアラブ首長国連邦はOPECの割り当て数を完全に無視して大量に採掘し、原油価格の値崩れの原因になっているとフセインは考えていました。そこに、戦時債務をクエートから催促されたフセインは切れたという次第であります。突然、何もなしで侵攻なんてありませんよね。なんとかにも一部の理です。

 翌年3月3日に、イラク代表が暫定休戦協定を受け入れますが、イラクが敗戦を認めたと同時に停戦したため、イラク軍の主力は多くが温存され、この温存兵器が後の懸案事項となるのです。終戦直後に南部シーア派住民と北部クルド人が反フセイン暴動を起こしたが、米英の介入はないと見たフセインは、温存した軍事力でこれらを制圧し、首謀者ら多数が殺害されます(クルド虐殺)。
 後の、大量破壊兵器の保持のイラク戦争に繋がって行くのです。どうして、武装解除、縮小を行わなかったか不思議でなりません。

 アメリカはこの戦争に611億ドルを費やしまう。その内約520億ドルは他の諸国より支払われ、日本は130億ドルを負担しましたが、クエートは日本にだけは感謝の言葉を述べませんでした。これが「金は出すが、汗はかかない」という言葉になって、次のイラク戦争時の自衛隊の海外派兵に繋がっていくのです。金を出して貰って文句を言うな!と言えばいいのに。

【アメリカのアフガン介入(2001~)】
 そして、ついに9.11同時多発テロが起きます。首謀者としてアルカーイダのビン・ラーディンの引渡しをターリバーン政権に対し行います。これをターリバーンは拒否。アメリカ合衆国、有志連合諸国および北部同盟(2001年以降はアフガニスタン暫定政府、2004年以降はアフガニスタン政府)がターリバーン政権に対して戦闘を行います。ビン・ラーディンは死んだとされますが、アルカーイダのテロは止むことはありません。ターリバーン政権は倒されましたが、その残党はパキスタン国境をまたぐ形で存在し、2005年以降は南部でターリバーン等の武装勢力の攻撃が増え、治安が悪化しています。
 アメリカの撤退が決まっていますが、治安の悪化が心配されています。現政権の基盤も安定せず、一体、何のための軍事介入であったか・・?大国の狭間で翻弄されるアフガンの先はまだ見えないのです。

【対イラク戦争(2003)】
 イラクの『大量破壊兵器の保持』を理由として、ブッシュが仕掛けた戦争でありました(イギリス、ブレア政権が同調)。
 イラク攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中国などが強硬に反対を表明し、国連の武器査察団による査察を継続すべきとする声もありましたが、それを押し切った形での開戦となりました。アメリカ国内の世論はフセイン打倒には高い支持を与えたものの、国連の支持なしの攻撃には反対する意見も多く、必ずしも国論は一致していたとは言い難いものでした。
 結局、開戦後に大量破壊兵器が発見されなかったことで、この戦争の『大義』が失われたという批判が巻き起こる結果となったのです。

『大量破壊兵器』は開戦の名目に使われたに過ぎなかったのです。アメリカの意図はどこにあったのでしょうか?下に挙げたものが全部纏まってあったのだろうと推測します。
①サウジ・ロシアに次ぐ埋蔵量(世界第三位)を持つイラク北部の油田地帯を反米のフセイン政権が握っているのは、アメリカ(特に国際石油資本)にとって好ましいことではない。
②戦時には大統領の交代はない。ブッシュの政権維持。これを支えるネオコン、軍需産業の圧力。
③ユダヤ資本がバックにつくイスラエルにとっては、フセインは天敵に等しい。それで、戦争の後押しをした。
④湾岸戦争時アラビアに置いた基地(アラブ諸国民の猛反発)の移転先としてイラクを考えていた。

 一方この戦争に反対した方も単に人道的見地からだけではありません。イラク軍の保有する近代兵器の大半はロシア、フランス製であります。フランスはイラクに多額の借款を持っており、戦争による体制の崩壊で当該借款が回収不能になることを危惧しました。
 武力行使を積極支持したイギリス・ブレア政権ではありましたが、閣僚が相次いで辞任を表明し、政府の方針に反対するという状態でありました。結局破壊兵器も見つからず、ブレア政権は短命に終わります。

 日本(当時小泉首相)はアメリカにNOなんて言えませんよね。イラクに持っていた約7100億円の債権削減と、原油高の長期化だけが日本の得たものでありました。
 結局、厭戦ムードの中、ブッシュに変わって大統領になった、バラク・オバマによって、「戦闘終結宣言」が出され、2011年12月米軍の完全撤収によってバラク・オバマがイラク戦争の終結を正式に宣言します。

 イラク国民に「間違っちゃった。ごめんちゃい」の一言は勿論ありません。アメリカは石油の権益すら得られず、威信を落とし、イスラームにさらなる反米感情を高めただけで、何を得たのでしょうか。
 フセインは倒されましたが、安定した民主化政権が出来たのでしょうか。アメリカの国連無視の単独行動主義はISというモンスターを生み、シリアにも有効に対処できず、混沌とした世界の現状を招いているのです。
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