6 諸国その2に入る前に資料

イスラム資料

 アッラーは唯一神、ムハンマドはその預言者、カリフはムハンマド亡き後の代理人、すなわち、イスラム共同体(ウンマ)では宗教指導者と政治的指導者が分離していませんので、政教一体の指導者を指します。ここまでなら分かるのです。

 このカリフをどのように選ぶかでシーア派とスンニ派に分かれます
正統カリフ時代の4代目のアリーを境に、カリフはムハンマドの子孫であるべきだと主張する派(シーア派)と、子孫の中からではなく、話し合いによって皆から選ばれたものがカリフとなるべきと主張する派(スンニ派)に分裂したことは先に書きました。どうも、教義の違いではなかったようですね。勿論この後の長い歴史で違ったところは出てくるのでしょうが、スンニ派が多数派になったのは、血統では限られるが、選びなら俺もなれると思ったからでしょうか?穿った見方でしょうか。
 シーア派では血統をめぐって分派が出来ますよね(どんな組織でも出来るのですが)、また途絶える心配が出てきますよね。

ここからは中東研究者の言葉を引用します。

その後、スンニ派はムアーウィヤをカリフに選出して、現在のシリアにウマイヤ朝を建設します。一方、シーア派はアリーの子孫であるハサンとフセインを支持しますが、ウマイヤ朝と敵対することとなります。3代目の指導者(イマームと呼ばれる)であったフセインはウマイヤ軍に滅ぼされて、戦死してしまいます。こうした悲劇から、シーア派の人々はアリーの子孫であるイマームによって導かれる共同体こそが、神の支配を復活させると考えています。
 ところが、ムハンマドの死から約300年後には、アリーの子孫は12代目で途絶えてしまいます。そのため、シーア派の人々にとって、現在は「イマーム不在」の悪の状態であると考えられるのです。けれども、終末直前に最後のイマームがマフディー(救世主)となって再臨して、この世の悪から救済されると信じられています。

ただ、カリフはイスラームの教義を左右する宗教的権限やコーランを独断的に解釈して立法する権限を持たず、かわりにこれらはウラマー(イスラム法学者)たちの合意によって補われるという考えがあります(スンニ派)

スルタン:カリフからスルターンの称号を授与され、ちょうど西ヨーロッパにおける教皇に対する皇帝(世俗君主)のように用いられます。スルタンが出てくるとカリフは宗教的権威に偏重していきます。

19世紀に「スルタン=カリフ制」の主張が生まれると、オスマン帝国の君主は世俗権力であるスルタン権と宗教権威であるカリフ権を兼ね備えていると考えられるようになります。

「法学者の統治論」:統治論とは、「シーア派の政治的・宗教的指導者であるイマームが、お隠れになって不在のときはイスラーム法学者が統治者となるべきである」という理論。この理論でイラン革命を導いたのがホメイニ師で、終身任期の最高指導者(国家元首)となり、任期4年の大統領(行政府の長)をも指導しうる、文字通り同国の最高指導者となったのです。

イマーム:コーランでは「指導者」、「模範となるべきもの」を意味する語で、原義以上には使われていません。シーア派では宗教共同体にとって特別な存在である「最高指導者」を指しますが、スンニ派では違うようです。ムスリムにとって最重要の義務のひとつである礼拝を集団で行う際、信徒たちを指導する役を務める者を指す呼称として広く使われていました。ただ、イマームの中のイマーム、すなわち大イマームという呼称が出てくるとシーア派と何ら違わなくなります。

以上、分かったかな?書いている私はもう一つ分からない。でもこんなとこを頭に置いておかないと後がもっとわからない。

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