5 第1次大戦後の分割されたイスラーム諸国、エジプト・イラン

写真はテヘランのバザール

 第2次世界大戦末期の1945年3月、エジプト、シリア、イラク、レバノン、トランスヨルダン、イエメン、サウジアラビアの7カ国でアラブ連盟が結成され、統一的な行動による発言力強化が図られます。

 そして1946年にはヨルダンがイギリスから独立、フランスの支配下にあったシリアも同年に独立を達成します(影響力は残ります)。

【エジプト】人口8000万
 第一次世界大戦後、エジプトはオスマン帝国の支配から、イギリスの強い影響を受けた王国が名目上の独立を保っていました。そして、第二次世界大戦ではイギリスはエジプトも参戦させ、大きな負担を強います。こうした中、ムスリム同胞団のようなイスラム原理主義グループや、共産主義グループが出現します。
 そしてエジプトは第一次中東戦争にアラブ側として参戦しますが、イスラエル建国阻止という目的を果たせず撤退。ナギブやナセル(1918~70年)に率いられた自由将校団を中心とする軍部によるクーデターが起こり、国王が追放。1953年、共和国が誕生し、ナギブが大統領に就任します。実権は首相になったナセル(後に大統領)が握ります。ムスリム同胞団のようなイスラム原理主義グループの支援を受けますが、後に権力を握るとナセルはこれを弾圧します。

【イラン】人口7600万
 パフラヴィー朝が統治していたイランでは、1951年に民族主義者モサッデグ首相がイギリスの利権を撤廃するため、イギリス資本のアングロ・イラニアン石油会社の国有化を議会に認めさせます。これに対しイギリスは反発し、イランに対して経済制裁を実施。経済危機に陥ったイランでは、連立政権が崩壊して政治が流動化する中で、ソ連に接近し、なんとモサッデグ首相はモハンマド・レザー・シャー皇帝の退位を要求します。アメリカ、イギリスには到底受け入れられない事態でした。

 こうした中、モサッデグ首相は皇帝に罷免されますが、反王政主義者たちが暴動を起こして皇帝は亡命を余儀なくされました。一方、アメリカはCIAを使ってイラン国内の工作を行い、皇帝の帰国とモサッデグ首相の拘束を実現するのです。
 イランの石油利権はアメリカ、イギリス、フランス、オランダで分配できるよう、皇帝に認めさせました。こうして、イラン皇帝としては政権の存続に成功しますが、国民による反欧米感情が高まっていくことになります。
 ついに1979年 、『イラン革命』が勃発してモハンマド・レザー・シャーはエジプトに亡命し、イラン・イスラム共和国が成立するのです。ホメイニーが亡命先のフランスから帰国、最高指導者につきます。

 同年、アメリカ大使館人質事件が起こります。好戦的なイラン人学生がテヘランのアメリカ大使館を占拠・人質を監禁したもので、1981年1月20日まで続きます。カーター政権は国交を断絶、1980年4月7日には経済制裁を発動、同月末には救出作戦に踏み切りましたが、失敗。国際司法裁判所は5月24日に人質解放を要求、最終的にレーガン大統領就任の日、イラン側の要求をほぼ受け入れて事件は解決しました。イランの核兵器疑惑などもあって、アメリカとイランとの断絶状態は今も続いているのです。(2016年経済制裁は解かれました)

イラン在住の知人がいるのですが、経済制裁は物価高や、雇用や日常の生活に深く影響していると語っています。
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