4 もう一つの問題・中東の石油(一番大きいのかも)

その前からこの地域に石油が眠っていると言われていたのですが、 中東での最初の油田発見は1907年、イランのスレイマン油田でした。当時史上最大の油田で、イギリス資本が握ります。そして1920年代に入ると中東の砂漠の下に膨大な石油が眠っていることが明らかになります。これが、この地域をイギリス、フランスによって、不自然な国境線が引かれた最大の原因であります。イラク、サウジアラビア、クウェートと発見されます。本格的に大量生産されだしたのは第2次大戦後です。

 第2次大戦前の最大の産油国はアメリカで、世界の80%を占めていたと言います。戦闘機も戦艦も石油で動きます。石油なしでは戦争も出来ません。石油は極めて戦略的物資でした。太平洋戦争に日本が踏み切った一つにアメリカの石油の禁輸が言われています。

 この時期の湾岸各国は油を採掘する技術はもっておらず、メジャーと呼ばれる国際石油資本によって油田は採掘され、中東各国はその利権料と、そこから得られるわずかな税金しか入りませんでした。石油メジャーは、資本力と政治力で石油の探鉱(採掘)、生産、輸送、精製、販売までの全段階を垂直統合で行い、シェアの大部分を寡占する石油系巨大企業複合体の総称を言います。1970年代まで、世界の石油の生産をほぼ独占状態に置いたセブン・シスターズ(フランスの資本を入れるとエイト)と言われた7社のうち5社はアメリカ資本で、1社はイギリス、後の1社はイギリス・オランダ共同資本のダッチ・シェルでした。

 大戦後、1948年では世界総原油生産量の60%を占めた米国の比率は、1955年には44%にまで下がり、初めて石油の純輸入国に転じました。その後も国内消費量の増大に伴い、米国の中東石油の輸入依存度は増します。1948年の中東の原油生産量はベネズエラより少なかったのですが、主要消費地である西ヨーロッパの石油輸入量に占める中東の比率が、1958年には80%に激増します。今や中東は戦略的重要地域となったのです。

 現在の中東における石油の重要性は、第一に、世界のおよそ40%を超える生産量を誇っているという事実に加えて、そのうち90%以上が世界のほかの諸地域に輸出されているということです。世界の石油輸出量の約70%を中東産が占めているのです。第二に、好むと好まざるに関わらず、世界の中東石油に対する依存度は増えることはあっても減ることは当分ないでしょう。第三に、石油生産の急増によってもたらされる産油国の巨額な石油収入オイルマネーです。

 中東での大量の油田の発見は日本の高度成長を支える柱でした。
戦争で壊されても、教育制度は残ります。教育を受けた安価な大量の労働力(戦後のベビーブーマ)、資源がないが故に安価なエネルギー(石油)が調達出来たこと、アメリカの品質管理を学んだこと(アメリカはこれを疎かにした)、そして勤勉な国民性、の4つが良品を生み、高度成長を生んだのだと私は思っています。これでメイドイン・ジャパンが売れないはずがありません。
 アメリカは国内にも石油を産出しまう。1単位のコストを仮に5ドルとします。大量に産出する中東の石油を2ドルとします。アメリカは国内石油産業も守らねばなりません。輸入50%とすると、トータルコストは3.5ドルになります。日本は守らねばならない石油資源などないので、調達コストは2ドルであります。資源を持たず買いまくる方が有利になったのです。皮肉なものです。(これは西ドイツにも当てはまります)。オイルショックで日本が慌てたわけです。

 これに対して、産油国が黙っているわけがありません。資源ナショナリズムが起きてきます。1951年イランの首相モハンマド・モサッデグ(民族主義者)が石油国有化政策を行います。これは他のアラブ諸国の刺激になりました。これに対してのアメリカの対応は後で述べます。

 もう一つが、1960年にメジャーに対抗して産油諸国の石油収入の維持、増大を目的とするOPEC(イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5ヶ国、現在12ヶ国)の設立でした。当初10年程は公示価格の据え置きが精一杯でありました。また、OPECのもう1つの目的である、石油産業の国有化も70年代に入ると次第に進められていきます。石油の価格決定権を国際石油資本より奪い、2度のオイルショックを引き起こすのです。消費国も省エネに励み、1986年からは石油価格の決定権は自由市場へと移りますが、全世界の原油生産量の半分近く、石油埋蔵量の3分の2を占め石油供給の鍵を握る存在であることには変わりありません。
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