3 列強の優位

【産業革命】

 18世紀イギリスで始まった産業革命とは何か?
一言でいえば、「産業革命」とは"輸入品の国産化"です。中国清朝の全盛時の皇帝・康煕帝(1661~1722)にイギリスが交易を持ちかけたところ、「ウチには売るものがあるが、お前とこから買うものはない」と言われたという話があります。その頃の、中国や日本は一応自給自足出来ていたのです。自然環境が厳しい北ヨーロッパはそうはいきません。
茶、香辛料・綿等は輸入しなければなりません。それが産業革命の大量生産で安価に工業製品ができるようになると、それまで輸入していたインド産の綿織物を逆に輸出するようになり、インドの家内手工業に頼る綿織物業や国内産業を破壊してしまうのです。インドに限らずアジアの自給自足経済は破壊されてしまいます。また、大量生産出来る鉄を持って軍艦、武器と軍備的にも圧倒的な力を持ったのです。今や東方・アジアは物を買うより、売りつける市場となったのです。列強の植民地化が進むのです。

【国民国家】

「国民国家」とは何なのか?
市民革命や産業革命を通じて支配権を確立したブルジョアージーが、近代官僚制・軍制を使った中央集権国家。簡単にいえば、「俺は○○国民で○○人」と国民みんなが思っている国家のこと。江戸時代は支配階級の武士は藩意識の方が強く、庶民は上には殿様がいて、お上がいて、天子様がいるぐらいで、国家意識はあまりありませんでした。明治維新により急いだのが国民国家の建設だったのです。

 前述したとおりイスラーム諸国内ではムスリム(イスラーム教徒)と非ムスリムがお互いを認めて暮らしています。(=異なるアイデンティティの共存)だから、国民国家建設(アイデンティティの一元化)が難しく、近代国家への第一歩を踏み出すのは容易ではなかったのです。
 こうして、ロシアとクリミア戦争で戦い、財政が破綻したオスマン帝国は第一次大戦でドイツ側についたことによって、帝国は解体・分割されるのです。列強と言っても大英帝国イギリスがその主役です。そして1の大国の横暴に帰るのです。
第一次大戦後、トルコ革命が起こり、スルタン(国王)が追放され、今のトルコ共和国となるのです。

【イランについて】
 イスラムの前はペルシャでありました。イラン人=ペルシャ語を話す人と一応理解しておきましょう。イスラム帝国の出現によってイスラム化するですが、イスラム王朝の支配下に入ったこともありますが、オスマン帝国の時代はその東方にあり、独自の王朝(ガージャール朝)を持っていました。
 ロシア(南下政策)との戦争に敗れ、イギリスに不平等条約を結ばされ、経済的従属化へ置かれ、イギリスとロシアにより分割されます。石油が出ることで列強に支配され続けます。ロシア革命により、ロシアがソ連となり、イランから撤退。1919年、イギリスに保護国にされます。

1921年、レザーハーンという人が革命を起こし、自ら王位についてパフレヴィー朝を開きます。イギリスは撤退しますが、イラン国内の油田はイギリス資本が握たままでありました。

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