1 序文とイギリス外交

写真はパレステイナに向かうユダヤ難民船

序文

 今年、2015年1月7日午前11時半、フランス・パリ11区にある風刺週刊誌を発行している「シャルリー・エブド」本社に覆面をした複数の武装した犯人が襲撃し、警官2人や編集長、風刺漫画の担当者やコラム執筆者ら合わせて、12人を殺害するフランス紙襲撃テロ事件があった。11月にはパリ同時多発テロがあり、100人近い犠牲者が出た。いつどこで、誰がテロに会うかもしれない恐怖が世界を包むようになった。今やテロの世界戦争の中にあると言っても過言ではないでしょう。

 しかるに、ニュースを見て、段々、自爆テロや襲撃テロに衝撃を受けなくなって、慣れて来ている自分に気がついて恐ろしくなってきた。ただ、「テロは悪」「テロに反対」「テロをなくせ」と言っているだけでいいのだろうか?

 9・11同時多発テロは衝撃的であった。太平洋戦争でも本土攻撃を受けてないアメリカ人の衝撃はいかほどであったろうか・・?「これは戦争だ」と叫んだブッシュ大統領の気持ちも分からぬでもない。あれ以降のテロは、数においても、規模においても、質においても数段違ってきているのではないか、この起きている本質は何なのか、知りたいと思った。勉強をしたいと思った。本当は遅い、するなら、9・11の時であった。でも学ぶのに遅きはないと言う。さりとて、ほっておいたら勉強などしない人、書くに限ると思った。そして、看板に偽りのあるたいそうな題になった。

イギリス外交

【そもそもの発端はイギリスのペテン、三股外交にあった】

☆1915年 フセイン=マクマホン協定

 第一次世界大戦の構図は、当時ヨーロッパで圧倒的に強かったドイツ vs イギリス・フランス・ロシア(反ドイツでまとまる連合)でした。まずイギリスは、ドイツと同盟を結んでいたオスマン帝国に目をつけます。オスマン帝国政府(トルコ人)とその支配下にあったアラブ人の間に対立を起こさせようと、イギリスはアラブ人のリーダー・フサイン(ハーシム家)に秘密条約を持ちかけます。
 イギリス「オスマン帝国に対して反乱を起こしてくれ。そしたらこの大戦が終わった後に、パレスティナにアラブ人だけの国を作ってあげるよ」と。

☆1916年 サイクス=ピコ協定

 しかし、イギリスは、フランス・ロシアとの三国の間でも秘密条約を結ぶのです。内容は大戦後のオスマン帝国領土山分け計画。メソポタミア(イラク・クエート、ヨルダンはイギリス、レバノン、シリアはフランス。ロシアは革命が起こりそれどこではなかったのです。
そしてアラブ人にあげるとしたパレスティナは、イスラエルの建国問題でややこしいので、とりあえず国際管理(委任統治)とし、問題の先送りを計りました。

☆1917年 バルフォア宣言

 国民国家を形成するヨーロッパにおいて、ユダヤ人が「他者」として強く排斥されたという事実があります。そこで行き場を失ったユダヤ人たちにユダヤ人国家建設を唱えたのがこの条約。ユダヤ人には金持(金融業)ちが多いので、第一時大戦時、イギリスはユダヤ人にこの宣言を出すことで資金援助を頼むため、 「パレスティナにユダヤ人国家つくってあげるよ」と言ったわけです。

 これに対し、反発したアラブ人勢力がフサインの子供たちを擁して戦ったため、イギリスは妥協し、イラクとヨルダンにハーシム家の王を置いた。クウェートだけは石油が出まくるのでイギリスが占領し続けます。
 ネジュド地方(今のサウディアラビアの心臓部)では、サウード家が台頭し、サウジアラビア(サウード家のアラビア)王国を建設します。この王国建設もイギリスの支援によるものでした。これによって出来たばかりのアラブ国家は、大きくハーシム家とサウード家に分裂することとなったのです。

 このタイミングでトルコ革命が起こり、オスマン帝国が倒れ、今のトルコ共和国ができます。イランはオスマン帝国に支配されていない別の王朝でありました。
 このようにして、今の国境線に近い線引きが出来たのです。大国の都合での線引きで、住んでいる民族や部族の都合は配慮されないものだったのです。アフガニスタンとパキスタンの国境線も、アフガニスタンの最大の民族であるパシュトゥーン民族が分断されています。

第2次大戦の前後

 第二次大戦が近づくにつれ、イギリスは親ユダヤの姿勢を崩していくことになります。中東のアラブ諸国家が「反ユダヤ」という点で、ナチスドイツと協調するのではないかという恐れを抱いたのです。イギリスはマクドナルド白書を発表、ユダヤ移民の規制、ユダヤ人による土地取得の規制、ユダヤ国家樹立を認めない、10年以内にパレスティナをアラブ国家として独立させるといった内容であり、イギリスはバルフォア宣言の肯定から否定、親ユダヤから親アラブというまたまた方向転換を行うのです。

 第二次大戦で、各地でユダヤ虐殺が始まると、ユダヤ難民はパレスティナに流れ込もうとしますが、マクドナルド白書によって拒否されることになります。シオニズム運動はこれまでの庇護者であったイギリスに絶望し、その舞台をアメリカへと移します。これ以降、アメリカではシオニストが圧力団体として急速に成長するのです。
 また、大戦終結後は中東の勢力分布そのものを塗り替わることになります。英仏はもはやこの地域の覇権国ではなくなったのです。その代わりに影響力を及ぼすようになったのは、米ソの二巨頭であります。中東での紛争は単純にアメリカ対ソ連という形に収束したわけではありません。中東のアラブ国家は親米・産油・保守派と親ソ・非産油・改革派の二極に分かれ、その対立の渦中にパレスティナ問題が存在するという複雑な様相を呈するようになるのです。
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