タヒネの最終公演はいつもの国民精神健康保健センターではなく、国立コロッセウムで行われることになった。センターではキャパが足りなかったし、厚労省があんな広告を出したので直轄の施設を使うわけにもいかなかったのだ。コロッセウムは、国が持っているコンサートホールとしては最大の施設だ。それでもチケットは発売日に完売するほどだった。今やタヒネと私の殺人公演を巡って、国中を巻き込んだ社会現象が起こっているのだ。
 コロッセウムは首都のはずれにあり、最寄り駅に降り立つのはコロッセウムの客か職員くらい、公演が無い日はとても静かな場所なのだけど、私達の公演の三日前から既に様子がおかしかった。寝袋を持ち込んで決起集会を開いて気合を入れているファン、往生際悪く「タヒネ死なないで」という署名を集めているファン、公演中止を訴えデモをするアンチ団体、チケットを求めてプラカードを掲げてさ迷う人、その人達に高額でチケットを売りつけるダフ屋、とりあえずタヒネまんじゅうを売る人、なぜかブラジャーを燃やす女の人達、ふんどし一丁で神輿を担ぐおっさんの集団……。まるで世界のお祭大集合だった。
 こんなんじゃ公演が始める前に疲れちゃうと思ったけど、ネムルに聞くとここに集まっているのはほとんどがチケットを取れなかった人だそうで、公演にぶつけられない思いを発散するためにやっているらしい。ということは、チケットが取れた客はこれ以上の熱気をぶつけてくるということか……。
 その予想通り、公演当日、開演一時間前に既にほとんどの客が集まっているコロッセウムの様子は尋常ではなかった。一万人の吐く息の湿り気と熱気が、空みたいに高いコロッセウムの天井までをぎっしり埋めつくていて、まるでコーンポタージュの中にいるように空気がもったりと重かった。
 今日は厳密にはファッションの公演ではない(ネムルは死なないし、厚労省の仕事でもない)けれど、ファンからは自主的に例の漢字二文字コールがかけられていた。
「流行!」
「精神!」
「健康!」
「性的!」
「擬態!」
「保健!」
「衛生!」
「風俗!」
「ファッション!」
「メンタル!」
「ヘーーールス!!」
 それから局所的に、勝手に作られた私の応援ソング「殺戮・ア・ゴーゴー」を歌い出す集団もいる。
「うおー。高まってるねー。どう、ミアハ、少しは緊張してきた?」
 楽屋でごろごろしながら、緊張感ゼロのネムルが聞いてくる。
「……全然」
「おおー大物ー」
「だって、私は殺すだけ。いつも通りの簡単なお仕事。メインディッシュは、タヒネ……」
 タヒネは今日までずっと取材漬けの日々の上に今は私達とは別の楽屋に入っており、結局あの日以来面と向かって喋ることはついに一度も無かった。ネムルいわく、殺される瞬間に全部話せるよう、言いたいことを貯めているらしい。
「僕とも仕事のこと以外喋ってくれないんだよー。まあタヒネらしいっちゃタヒネらしいけど。遺言は平等、ステージの上でみんなにいっぺんに喋るってことだよねー」
 あの、合格と書かれたケーキを囲んで屈託無く笑っていたタヒネを思い出す。あんなに打ち解けた表情のタヒネを見たのは初めてだったけど、タヒネにとってもあんなにリラックス出来た時はあれが最後だったのかもしれない。
「ねえネムル」
「んー?」
「私さ、今日タヒネを殺して、もういいやってなったら、そのまま死んじゃってもいい?」
「あー……んー……」
 ネムルは寝っ転がるのをやめて床にあぐらをかき、鼻をぽりぽり、髪をもしゃもしゃさせた。
「え、止めてよ」
 微妙過ぎるネムルの反応に肩透かしを食らってしまった。せめて「いいよーん!」っていつもみたいに言ってくれればいいのに。
「いい……とは……言えない……」
「なんで?」
「立場上……」
「立場上?」
「タヒネに聞いてみなよ。死に際のタヒネがいいよって言ったら、いいよ」
「変なのー」
 ネムルに聞いたのに。人に判断をあおぐなんてネムルらしくもない。
「もう着替えるね」
 ネムルはこっちを見ないまま立ち上がってどっかへ行ってしまった。歯切れの悪さにもやもやしたけど、諦めて私も着替えることにした。今回の衣装は着替えに時間がかかる……。
 私の待機場所は、ステージを真下に見下ろす梁の上だった。サーカスの公演で空中ブランコを吊るすような場所だ。米粒みたいな一万人の顔がずらりと一望できるけど、光の関係であちらからはこちらは見えていない。下を見れば、落ちたら即死しそうなほどに高く、頭の重みを急に感じて、転げ落ちないように首を固くする。でも、怖くはない。命綱はついているし、そもそも、私は怖いと言う感覚があまり無い。死ぬのが怖くないからだろうか。「キモい」と「死ね」の方がよっぽどビビットだ。
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