ヒサイチ市は地震による津波で壊滅した海辺の街で、なんだかもう気持ち良いくらいにぶっ壊れていて、私の心の中みたいだと思った。私が海から侵攻して来た怪獣で、思うようにこの街を壊せるとしたら、まあこれくらい破壊しつくすだろう。
 壊すと言えば、タヒネのマネージャーになってから、切っていなかった。なぜかというと多分……なんでだろう。タヒネに才能があると言われたから? それはすごく嬉しいことだけど、でも同じくらい不安だった。うまく私をおだてていいようにこき使おうとしてるだけだったら、どうしよう。少し切りたくなって、本当に少し、こするくらいに軽く切ってみた。うっすら滲んだ血を見ていたら分かった。私はただ単に離れて不安なだけなんだ。母親とはぐれた子供みたいだ。馬鹿みたいだ。
 視察と言っても名目ばかりなのだから、さっさと予定地だけ見て帰ってしまうつもりだった。じゃないと余計切ってしまいそうだった。この私の心の中みたいな殺伐とした風景。ワンピースの裾が視界の端でぴらぴらするのも鬱陶しいくらい、気が立っていた(ちなみに服は、私が切り裂いた囚人服を元に白衣マスク集団が縫い直したワンピースで、白黒の縞をストライプにしたりバイアスにとったりしててなかなか可愛いけど、囚人服を繕い直したってところが皮肉だし、今は可愛い服を着たい気分でも無かったので、デザインの良さは邪魔臭いだけだった)。
「おー、おまえさん!」
 どこからかしわがれた声がして私はきょろきょろ見回した。
「いやー、キレーな女の子だねー。どっから来たのかえ?」
ガレキの中から、腰の九十度くらい曲がった老婆が現れたので、ぎょっと飛び上がってしまった。
「首都から来たのかえ? アイドルさんかえ?」
「ち、違……」
「んだべなーこんなべっぴんさん! おーい!」
 老婆が呼び掛けるとガレキの中からわさわさと人が出て来た。みるみるうちに老婆の旦那、息子夫婦からご近所さんまでが私を取り囲んでまるで孫が来たみたいになってる。逃げ遅れたのを後悔する暇も無かった。きっとみんな刺激に飢えてるんだ。
「うわー俺アイドルって初めて見たー」
「私もー」
「テレビで見るよりずっときれー」
「違うってば! アイドルじゃないって!」
 私が否定してるのに誰も耳を貸そうとしない。
「ちょっと待った。お前さん、何の覚悟があって来てるんだろうな」
 人だかりを掻き分けて私の前に立ちはだかったのは働き盛りといった感じのおじさんだった。周囲の人が途端に静まる。
「こっちは生きるために必死なんだ。同情なんだかイメージアップなんだか知らないが、『一緒に頑張りましょー』とか言って歌って踊って帰ってく奴らを御接待してやる余裕は無いね。さあ、帰った帰った」
 おじさんが私を猫みたいに手で追い払おうとする。血が沸騰するような怒りが襲った。
「だから違うってーの! 誰があんた達の前で歌って踊ってサービスしてやるもんか! タダで見ようって根性が気に食わねーんだよ! お前らモブは! パンダだって金とるじゃねーか! 道開けろ!」
「ああ、帰れ帰れ! さっさと失せろ! 帰る家がある奴らに俺達の気持ちなんか一生分かんねえ!」
「あ?!」
 一気に顔に血が溜まって視界が真っ赤になった。目から血が噴き出る程に圧力が高まってもはや何も見えなかった。
「貴様らこそ、私の気持ちなんか一生分かんねえくせに!」
 歩いてるだけで取り囲まれる私の気持ちなんか。カッターを手首に突き立てて骨まで見せる勢いで抉りまくった。
「おらおら! 見てんじゃねーよ! タダで見るなよ! 貴様らはなあ! 勝手に取り囲んでおいて! 何の罪悪感も感じねーんだよ!!」
 手首から噴く血を浴びて更に真っ赤に染まる視界に千手観音が見えた気がしたけど、きっとそれは私を取り囲む人達が伸ばした沢山の手だったんだろう。
 目を覚ました時はガレキの中ではなく、病室のベッドに横たわっていた。おぼろげな意識のまま、左手を握ったり開いたりして、くっついてるか確かめた。痛みは残るものの、それなりの反応を返してくれた。そして、はじめに思ったのは、タヒネに申し訳無いなあ、ということだった。切って申し訳無いと思ったのはこれが初めてだった。どんなに身体を傷つけてもママに悪いと思ったことは無いのに。まあ、時価八億円なら申し訳無くもなるか。あなたのマネージャーをするための腕なのに、これは。
 意識がはっきりして分かったのは、この病室はどうやら相部屋だということだ。夜中らしく消灯しているしカーテンで区切られているからよく分からないけど、潜めた息の気配を感じる。試しに
「コンコン」
と咳をしてみると、まるで私が起きるのを息を殺して待ち構えていたがごとく
「お嬢さん! 儂と心中してくれまいか!」
 勢い良く開いたカーテンの向こうから、白装束の老人が現れた。
「ヒッ!」
 他のベッドのカーテンも次々開いて、手元灯もつけられてぼんやり明るくなる。
「お嬢さん、生き返ったかー」
「良かった良かった」
「家族の人、心配してたぞー。一家総出で見舞いに来とったからな」
「末っ子かい? 愛されてるねー」
 他のベッドにいたのも皆老人だった。他の人は白装束でなく普通のパジャマで、まともそうだ。まともそうでない顔をした白装束が目をかっぴらいてヌッと顔を近付けてくる。
「儂は死にたい。だが一人で死ぬのは怖い。一緒に死んでくれ!」
「まあまあ、ヨドムさん」
 白装束を他のまともそうな老人がなだめた。
「悪いねえ、お嬢さん。ヨドムさんは津波で家族を全員失って天涯孤独になってしまったんだよ」
「お嬢さんが手首を切って運ばれて来たって聞いて、一緒に死んでくれるんじゃないかって、思い込んでるんだよ」
「で、お嬢さんが目を覚ますのを、一睡もせずに待っていたんだよ」
 私は首がちぎれるほど横に振った。
「知るか! あんたと心中するほど気安くねーんだよ! 私は伝説になるまで死なねーよ!」
「そうか……」
 老人は一瞬しょげたが、すぐ立ち直り
「じゃあ、せめて殺してくれ!」
 白装束の胸元を勢い良くはだけた。しなしなの梅干しみたいな皮膚が骨格に垂れ下がってるだけの貧相な身体に、いろんな管やらシートやらが貼りついている。
「これ、全部引っこ抜いてくれれば死ねるから」
「……まあ、いいけど」
 私が答えると
「え?! 本当に?!」
 周りの老人達がわさわさと押し寄せて来た。
「うん、だって、身寄りも無くて、死にたいんでしょ。もう働けない歳だしタイキョーしても誰も欲しがらないし、コレ引っこ抜くだけで死ぬなら、別にやってもいいけど」
「ありがたいねー。良かったねえ、ヨドムさん」
「看護婦さんに頼んでも、絶対やってくんなかったもんなー」
「こんな可愛い女の子にやってもらえるなんて、幸せ者だなあ」
 外野ががたがたうるさいので、息を止めて(老人の加齢臭がすごいのだ)、死装束の身体についていた全ての器具を片っ端から引っこ抜いた。
「おー、なんて潔い!」
 老人の皮膚は弾力が少なくずぶずぶとしていて管を抜くのもあっけなかった。自分の手首を切るより簡単だな、これ、と思いながら全部やりきると、何にもくっついていなくなった老人は満足げにベッドに戻り、仰向けで「生涯、悔い無し!」と言い切った。
「お嬢さん、ついでに俺のもやってよ!」
「俺も!」
「俺も!」
 周りの老人までもがパジャマをはだけてきた。
「あー、もう、臭いんだよ!」
 鼻をつまんで一気にやり切ると、皆満足げな顔をして大の字でベッドに倒れ込んだ。
「ふー快感ー!」
「身体が軽ーい」
 私は気持ち悪いので早く手を洗いたい。洗面台は無いかと見回していると、はじめに引っこ抜いた白装束がうーうー呻いていた。
「すぐに死ねない……苦しい……引導を渡してくれえ……げええ……ぜええ……ごぼぼ」
 まるで排水管が壊れたようなひどい音を出し始めた。
「世話が焼ける……」
 このまま放置すると呪われそうだったので、私はスカートのポケットに入れてあったカッターで老人の首を切ってあげた。素早く退いたけど噴水のように噴いた血が私にかかってくる。すると、浴びた血から老人の思考が流れ込んできた。
(お、おなごの手……すりすりして……)
「ハア?! キモい! 早く死ね!」
 私が腹から腕から更にザクザク切ると
「おじょうさん、俺もやってー」
「俺も俺も」
 次々と声が上がったので全てのベッドを巡って切りまくった。他のまともそうな老人だって考えてることは一緒だった。
(痛いけど……ちょっと気持ち良い……)
(ちょっとパンツ見えた……ラッキー)
(冥土の土産……目の保養……)
「あーもうどいつもこいつも! お前ら気持ち悪いんだよ! 死ぬ時くらい別なこと考えろよ! ジジイの癖に! エロガッパ! さっさとくたばれ!」
「なんで……僕らの考えてること、分かるの……」
「こんだけ血浴びたら分かるわ!!」
 老人とは言え五人分の血量だからその臭気はすさまじく、鼻が腐るかと思った。血の海になった病室と血まみれの自分の服を目にしてまずシャワーを浴びたいと思った。
 その時、異変に気付いてか、看護婦が駆けつけて来た。
「あら、ミアハちゃん起きたの……あらら! やっぱり全員死んでる。心電図の故障じゃなかった。これ、ミアハちゃんがやったの?」
「ハイ……」
 婦長らしき中年のおばさんが目を丸くして血まみれの部屋を見回す。はあ、無駄なことをしてしまった。こんなに切りまくらなくても、放っておけば死んだのに。片付けが面倒臭そうだ……。
 上目づかいで婦長を見ると、
「ありがとー! 助かったわ!!」
 意外なことに満面の笑みで背中をバンバン叩かれた。
「しつこく頼まれてたけど、なかなか踏ん切りつかなくて、みんなで押し付け合ってたのよねー!」
 他の看護婦達も駆けつけて、私を囲んで拍手をする。
「ありがとう!」
「あなたは天使!」
「偉い! いいことをした!」
「ミアハちゃん万歳!」
 きつねにつままれたまま、私はかつがれ、シャワーを浴びてきれいになった後、お礼のお金をたんまりもらった。そして一泊二日の視察旅行の残りの時間は、噂を聞いた他の病院に次々と呼ばれ、ヒサイチ市の死にたがる老人をぶっ殺してまわった。
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