「さて、次のチャレンジャーはどっちかな?」
 ネムルが残った二人を交互に指さしながら「どーちーらーにーしーよーうーかーな」と歌う。
「あれ、てか、龍之介さん、起きてる?」
 客席がざわざわし始めた。この老人、さっきから瞬きもせずタヒネの片胸を凝視していると思ってたけど、ずっとポーズが変わってない。もしかして、
「死んでる?」
 ネムルが老人の頬をぴしゃぴしゃ叩くも、反応が無い。再び白衣マスクの集団が駆けつけて老人の身体を調べると、黒旗を揚げた。ついで、白旗も。
「ありゃりゃ、死んじゃったかー! ご老人には刺激が強すぎたのか、いつの間にかエクスタシーとともに天国に逝っちゃってたようです! さぞかし幸せだったろねー、うらやましいね! アレクサンドロ・コワントロ・龍之介さん、退場です! 人生から! お疲れ様でした! みんな、拍手ー!」
「ナイスファイ!」
「ナイスライフ!」
「ナイス龍之介!」
 割れんばかりの拍手に包まれながら、老人の干からびきった身体は介助者が押す車椅子に乗って退場していった。
「さて、残るはミヲ・ササグさん一人だけになっちゃったね! 準備はいーい?」
「ハイ、ビンビンです!」
 ササグさんはステージ正面に進み出ると、ぬらりとソファから立ち上がったタヒネと相対した。
「腕とか脚もぐとさぁ」
 タヒネはササグさんの周囲をうろうろしながら、間合いを詰めていく。まるで獲物を見つけてどこから噛みつこうか思案する獣のようだ。
「身体のバランスが変わって、ひょんな所が敏感になったりするんだよねえ。ほらっ」
 タヒネはササグさんの中身の無い黒い袖を掴み取るとぎゅっと握り締めた。
「あぁー、へぁっ!」
 身体を絞られたような変な声を上げたササグさんは前によろけた。あー、という落胆の声が客席から漏れる。でも倒れる間際、ササグさんは松葉杖をすっ飛ばし、タヒネの片胸を鷲掴みにすべくグイッと腕を伸ばした。それはベースに滑り込む野球選手の渾身のスライディングのようだった。しかしすかさず後ろに退いたタヒネにかわされてしまい、そのまま無様に床へ倒れ込んだ。白衣マスクが飛んで来て、白旗を掲げるも、
「おー!」
「やるねー!」
「ナイスファイ!」
 客席からは拍手と喝采が送られた。
「あーあ、お馬鹿さんだねえ。こんなこと健診でも出来たのに。わざわざタイキョーまでする必要無かったよ。私に触れもしなかったじゃないか」
 担架へ乗せられるササグさんを見下ろしてタヒネが憐れむように言った。
「また絶対来ます! タヒネさん、覚えててくださいね!」
 担架で運ばれながら、ササグさんは松葉杖をホームラン宣言みたいにかざして、少しでも自分を印象付けようと懸命に叫んでいた。それを興味無さげに横目で流しながら、
「ハア、情けない。もうICU始まって五回目だってのに、誰も本番どころか私に触れもしないじゃないか」
 タヒネは大袈裟にため息をついてみせた。
「それだけタヒネが聖なる存在だってことだよー」
「聖なるとかどうでもいいわ。あーもー。なんで障害者は優先抽選なんだよ、そんなのやんないで、やる気のある奴がんがん集めた方がいいじゃないか」
「タヒネ精神保健局長様ったら~。それを言ったらクビじゃなーい?」
「いいよ、ICUが障害者の見世物小屋になるよりかは! あーもう、むかつく。いいか、そこで見てるお前ら!」
 タヒネは突如として刃物のような鋭い視線を客席に突き刺した。
「私に挑んで来る奴はいないのか!」
「え、飛び入り参加オッケーってこと?」
「そう!」
 客席がどよめいた。
「どうした! いないのか! さっきの奴らもしょぼかったけど、公衆の面前で正々堂々と戦った障害者を安全なところでヘラヘラ笑って見てるお前らは、もっとしょぼいぞ!」
 タヒネは爆弾を客席にどかどかと投下するがごとく遠慮の無い言葉を発し続ける。
「自らの性を公共に資する度胸のある奴はいないのか!」
 ひとしきりがやがやしていた客席だが、やがて委縮したようにしんとしてしまった。さすがにあの三人の負け方(一人は死んだだけだけど)を前にしたら、名乗り出にくいのだろうか。タヒネは私の頭の遥か上、一番遠くの客まで見渡すように緊張した視線を張り巡らせていたけれど、やがて糸が切れたマリオネットのようにくたんと脱力してソファに身を沈めた。
「私は、あなた達のこと……、昔はただの金づるだと思ってた。自分を褒めて崇めて、お金を落としてくれる、都合のいい人間の集まりだと思っていた。でも、今は、自分に試練を与えてくれる人だと思っている。私をもっと高みに引き上げてくれるための……。あなた達は私に、己の性を全力でぶつけて、私は全力で受け止める、それが私達のライブじゃないか。聖だの何だのってバカみたいだ、そうやって、たてまつっておいて、お前ら家帰ったらひとりでしこしこやるんだろ?! ええい、他に役者はいないのか!」
 タヒネは跳ねるように立ち上がると肩の上の毛皮の結び目を解いた。隠れていたもう片方の胸もがあらわになった。
「ウオオオオ!」
 地の底から湧き立つような激しい唸り声がフロアを埋め尽くした。再び後ろの柵がガタガタ言い始め、私の背中は粟立つ。ハイ! ハイ! と叫ぶ声がいくつも聞こえてくる。
「役者……」
 私は口の中で呟いた。他に役者はいないのか。そう、ここに来る前、私は役者になりたかった。役者になりたくて手と腕を身体提供した。「ここ、レベル低くない?」あゆみの会で出会ったむかつく男の言葉がよぎる。私は言った、「そうやって、自分に才能無いの認めるの嫌なだけでしょ」、「そうやって他人見下しながらくすぶってるのが気持ちいいんでしょ」。「私はそんなゴミみたいな人間とは違う」。そう、私はそんなゴミみたいな人間とは違う。安全なところから他人を見下して満足してるちんけな奴らと一緒にされてたまるか。
 私の手が、重力を忘れたように浮き上がっていった。タヒネ、私を見て。近過ぎる私を見つけて。
「おお、良い度胸じゃないか、見直したよ、みんな! さて、誰にのぼってもらおうかなあ」
 客席をぐるりと見回していたタヒネは
「あれ、女の子がいる。面白いじゃん」
 動物をおびき寄せるようにチッチッと唇を鳴らして私を手招きした。警官が私を車椅子ごとステージへと持ち上げた。まるでこうするためにいたように、なめらかな段取りだった。
 辿り着いたステージは予想以上の眩しさと高さでくらくらした。地底のようなフロアには人間がひしめいている。性欲でまみれた、カメラ小僧と同じ目を持つ男達。目を合わせるだけで吐きそうになる、臭くてべたべたの男達。でも目を合わせる必要なんて無い。私を見てろ。もうすぐ死ぬ私を。
 自分の頭がおかしくなって、音が耳から遠のいたのかと思った。でも違った。
「お、これは大当たりだー。あなたのあまりの美しさに、みんな静まり返っちゃったみたいだね」
 唯一の音として耳に流し込まれたタヒネの声、そちらを振り向くと至近距離で見るタヒネは、顔から、胸から、全ての肌から無数の輝きが目に飛び込んでくるほど美しかった。初めてタヒネを見た時と同じ、自分が消し飛ばされそうな、圧倒的な光を感じる。目を閉じて気が遠くなりそうになったけど、
「か~わいいね~か~のじょ~、名前教えて~?」
 マイクを近付けるネムルの声で我に返る。
「ミアハ、十八歳」
 マイクを通して再び自分の耳に入る声の微妙なタイムラグにくらくらする。五感が異様に鋭敏になっている気がする。負けない。何をして戦うのかは全く分からないけど。差し出されていたマイクを奪った。
「私は……、私は、役者になりたかった。でも手足が無いから、特別な役しか出来ないって言われた。同情とか優越感を誘うから、って……。私は、この身体しか無いのに! なんであなたはとっかえひっかえ! 何回とっかえれば気が済むのさ! 私達をバカにしてるんじゃないの?! 脚あるのに無いフリして! わざと切断面見せたりしてさ! 下品! 気持ち悪い! なんなの?! 私はもう、一生このままなのに! 二度と元の脚には出会えないのにー!」
 白衣マスクの集団が駆けつけて私を両側からとり押さえた。自分のしでかしたことへの後悔が、船底から浸水する冷たい海のように私の胃に染みていった。ああ、私、さっきのカッターでタヒネを刺した女と同じになってる。自分がこんなことを思ってるだなんて、言ってみるまで知らなかった。きっとあの女も、刺してから、タヒネを刺したかったって気付いたんだろうな……。圧倒的ピンチなのに異様にクリアな思考の中で、他人の気持ちを読み取る能力もアップしていた。さあ、死ねとかくたばれとかいう野次にまみれて帰ろう。そしてもう死のう。
 しかしいつまで経ってもそんな野次は飛んでこなく、聞こえて来たのはなぜか葬式みたいなすすり泣きの音だった。ぎょっとして見渡すと、フロアに詰め込まれた男達は皆涙で目を濡らしていたのだ。なんで……。白衣マスク達が私を掴む腕の力が緩む。
「ミアハちゃん」
 タヒネだけが泣いていなかった。でも懺悔を聞いた後の牧師のように、その声は穏やかだった。
「なぜ、とっかえるかって? なんで切断面見せるかって? それが、エロティックだからだよ。同情? 優越感? その通りさ。それが、エロティシズムの源さ。私は望まれたことは全部やるんだよ」
 押さえつけられたままの私にタヒネが近付いてくる。甘い匂いが漂ってくる。
「エロティックって、何?! じゃあ手足無しの出来損ないの私もエロいわけ?!」
 色香に負けじと喚くと
「そう、そうだよ。すごおく、やらしいよ、ミアハちゃん……」
 押さえつけられたままで逃げられない私の視界をタヒネの両胸が埋め尽くし、甘い匂いが鼻を埋め尽くし、ぬくもりが顔を埋め尽くした。タヒネが私の顔を胸で抱きしめたのだ。柔らかくて、あたたかくて、顔が蒸発してしまいそう……。しかし負けないのだ。その女の身体の一番柔らかいところに渾身のビンタを見舞った。
「そういうところが、バカにしてるって言ってるんだよ!!」
「おー!」
と、客席から歓声が沸いた。
「なにー?! 謎の美少女ミアハちゃん、タヒネのおっぱいハグ攻撃を跳ね返した! すごい精神力だ! これはとんでもない挑戦者が現れたぞー!」
 ネムルの実況を背に浴びながら、私は、手の平から腕を伝って私の脳に辿り着いたタヒネの思考を読んで、身体中の臓器が凍結するようなショックを受けていた。。それは、孤独だった。タヒネの心の中には壁が突き立てられており、どんな声援も中傷もその壁に跳ねのけられていた。無論、私の言葉も。タヒネの心は、壁の向こうの喧騒をよそに、静かに眠っていた。とても静かだった。息をしていないみたいだった。私は混乱した。
「触るんじゃねーよ! 身障がエロいとかバカじゃねーの?! こんな出来損ない、エロい目で見ないでよ! 頭おかしいんじゃないの?! 痴女! 気ちがい! 私は他の奴らとは違えーんだよ! 触って欲しくなんかないし! 私は私で一人で強く生きていくの!」
 もがけばもがくほど絡まる罠のように意味不明に喚きながら自分がどんどん泥沼に陥っていくのに気付いているけど止められなかった。タヒネの心の中を見た恐怖を紛らわそうと叫ぶしかなかった。タヒネはそれこそ罠にかかった動物を見る目で私を見ていた。観客も……。そう、私が泣かれていたのは、憐みからだったのだ。染み入るようにタヒネの声が聞こえる。
「どんな人だってエロい目で見れるよ? それは誰だって絶対にそうなんじゃない? どこでどう生きても、誰からもエロい目で見られないなんて無理だよ。もし出来ても、その方が苦しいんじゃない?」
「私は苦しいの! いっつも、そうやって、エロとか、そういうので見られるのが! 助けてよ! 私の気持ちを誰も分かってくれない!」
「ああ、分からないよ。あんたの気持なんか」
 タヒネは急に恐ろしげな低い声へと声色を変貌させて言い放った。
「え……」
「でも、そんなこと言ったら私の気持ちをあんたは分かってるの? 分からなくても、好きなんだろ? 分からなくても、好きってこと、あるでしょう?」
 タヒネの、気持ち……。この、冷え切った壁の中に安置されている、孤独以外の何物も感じていない心がそうなら、そう、私は全然分かっていない。観客も、全員そう。なのに私を含め皆が、タヒネに、どうしようも無いくらいに惹きつけられている。
「あんたが何を考えてるかなんて関係無い。頭なんか無くたって恋は出来るんだよ。身体が無いと出来ないけど。ねえ、みんな、この子をエロい目で見れるよね?」
 タヒネは客席に向けて腕を広げた。
「できるー!」
 客席を埋め尽くす男たちが待ち構えていたように絶叫し、何百本もの腕が私へ向けて伸ばされた。
「ミアハちゃん、可愛いよー!」
「こっち向いてー!」
「エローい!」
「やらしー!」
 この腕に苦しめられてきたはずだったのに。なのに私の心には、忍び寄る馴染みの嫌悪も暴力への衝動も無かった。かわりにひたひたと心を浸していたのは、タヒネと同じ孤独だった。
「私、今、タヒネみたい?」
 私の口が開いてうわごとのように呟いた。。
「そうだね、私みたいだよ」
「脱ーげ! 脱ーげ! 脱ーげ!」
 客席はいつの間に一致団結したのか脱げ脱げコールをかけ始めた。隣では両胸を誇らしげに見せつけたタヒネが微笑んでいる。そうか、何をしてたんだろう、私。なんてバカだったんだ。こんなに沢山の人に見られていたって、タヒネは孤独なんだ。私が、今まで望んだこと、全部、もっと無理に決まってたんだ。こんなに多くの人が見てくれてるなんて、最高じゃないか。こんなに多くの人が、死んでほしくなさそうに私を見ててくれてるんだから、ここで死ぬのは最高なんじゃないか。これ以上のことはもう生きてても絶対起こらないんじゃないか。ここが天国。ここがフィナーレ。ここが私の死に場。
「見てて下さい!!」
 胸? もっとだよ、もっと見せてやる。私は手に馴染んだいつものカッターを取り出して、刃先を最大限に出して、肉ごと服を縦に裂いた。ちゃんと首から臍まで切ったから、致死量に出血出来るんじゃないか。そもそもショック死かも。念には念を入れて、車椅子から身体を投げ出し、ステージから奈落へ飛び降りた。
「あーー!!」
 客の叫び声が耳の上から下へ過ぎ去っていく。落ちながら見えた客の男達の瞳に映る私の姿は、今までに見たどんな私よりも美しかった。
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