何百人もいたはずの行列はタヒネの驚異的な手腕によって一時間もかからずに片付けられてしまった。結局私達は最後まで見物してしまったのだった。
「ふー……今日のタヒネ様も神々しかったわ……! さあ、帰りましょうか!」
 マチコがそう言ったが
「帰るって、留置所に? どうすればいいんだろ」
「そう言えば私達被疑者なのに見張りもついてなかったですね……」
と言っているそばから警官がヌッと現れた。
「むろん見張りはしている」
「ヒイッ」
「この国民精神健康保健センターは警察庁と厚労省の共同直轄、監視カメラも盗聴器も警備人員も潤沢に配備している。わざわざ貴様ら程度見張るほどでも無い」
「そ、そうなんですか……」
 確かにこのタイミングで現れたというところが説得力たっぷりだ。
「被疑者ミアハはこの後Bホールへ。マチコは先に留置所へ戻る」
「ハア?! またミアハさんによからぬことを?!」
 マチコが暴れる。
「しかし被疑者マチコは帰ろうと言っていたじゃないか。ICUは観ない気だったんだろう?」
「そりゃあんな見世物小屋、見ろと頼まれてもまっぴらごめんですよ! でもミアハさんだけなぜ!」
「タヒネ精神保健局長からの要望だ」
「え……」
 私の顔を見るマチコの顔は大きな白紙だった。きっと私も同じ顔をしていたことだろう。タヒネが私のことを知っているはずは無いのだから。でも自動的に言葉が口から出て来た。
「行きます」
 また警官の罠かもしれない。でもさっきタヒネと目が合った瞬間の感覚を信じたい。
 マチコは不服そうな顔のまま警官に連行され、留置所へ一足先に帰って行った。別の警官が現れ、私をBホールへと導く。
 Bホールは、先ほどの公演が行われたAホールの半分も無いくらいの大きさで、座席があったAホールとは違いオールスタンディングのフロアに客がどかどかと詰め込まれている。九割九分男性客だ。なんだかここに入った時臭いと思ったけど、分かった、これは体臭なのだった。ぱっとしないおじさんや若くても生気の無い男の人ばかりが、まるですでにちょっと腐っているみたいな体臭を充満させているのだ。正門前にいたカメラ小僧集団に雰囲気がすごく似ていて、嫌な思い出が蘇りそうになる。しかし私に注目する人はやはりいない。
 ほとんどがひとり客なのかフロアは不自然なほど静かだが、これから始まる公演への隠しきれない期待がホールの天井までぎっしりと満ちていた。言葉で発しない分、煮詰められて、純度が高くなっている気がする。
 警官は私を、「関係者席」と書いてある柵の中に入れてくれた。どうやらタヒネの要望というのは本当らしい。警官は案内が終わっても私の傍を離れずマークしているし、ただの被疑者からVIP扱いにでもなったのだろうか。車椅子でスタンディングは不安だったからありがたいけれど、申し訳無いほどに最前列。ステージと私を遮るものが何も無い。しかし後ろからは、背中を猛獣に狙われているような緊張を感じる。一体ICUとは何なんだろう。ロビーのお祭り感とは全然違う、まるで宗教儀式が始まる前みたいな、この中でマッチを擦ったら一瞬で引火して大爆発する期待が詰め込まれているような、すごく危ない雰囲気なのだ。
 やがて客電が落ち、スピーカーを割ろうとする程の大音量で派手なヘビメタが鳴らされた。
「ウオオオオ! タヒネーー!」
 堰を切ったように激しい怒号が押し寄せ、私の背中が吹っ飛びそうになる。
 大歓声の中登場したタヒネはなんと、片方の胸を露出していた。ヒョウの毛皮を纏って片方の肩で結んだ、原始人風の衣装だ。身体は看護婦の時と同じらしき大人の女性のもので、毛皮でほんの少ししか隠されていない脚はどこまであるのかというくらい長く、堂々と腰を振りながら大股で歩く様子はそれこそ野生動物のように颯爽としている。草で編んだ風の超厚底のサンダルもおしゃれで、頭には骨をモチーフにした冠が載せられているし、よく見ると服にはヒョウのしっぽがついていて可愛い。でもそんなことより何より露出した片胸から目が離せない。女の私だってそうなんだから男の人は尚更だろう。あれも「とっかえ」なんだろうか。
 ばらばらに喚き散らしていた客達はやがて自然発生的にリズムを揃えて足を踏み鳴らし、
「ウッウッウッウッオー!! ウッウッウッ」
とかけ声を出し始めた。タヒネがステージ中央にある三人掛けの大きなソファに辿りついて腰かけると、
「ウオー!!」
 拍手のようにどかどかと床を踏み鳴らした。まるで生贄を捧げる部族の儀式のようだ。私の後ろにある柵が押されてガタガタ言っている。怖くて振り向けないが、隣に警官もいるし、大丈夫だろう、多分……。それより、また切りたくなってしまったらどうしよう。
 タヒネが出て来たのと反対側の袖から、動物園の飼育員みたいな青いつなぎとキャップをつけたネムルがぴょんと飛び出て来た。
「ハイハイハーイ、どうどうどうー。さあて、今宵もやって来ました、性と平等と愛の祭典『ICU』!! 今回も人前で自らの性を公開するを憚らない、勇気ある、敬服すべき紳士達三名を、厳正なる抽選によって選ばせてもらったよ! 今宵遂にタヒネの性域に辿り着ける者は現れるのかー?! それともタヒネは己の聖域を神聖不可侵のままと出来るのか! では早速ご三方に登場してもらいましょう、どうぞー!」
 再びヘビメタが鳴らされ、三名の人間が入場してきた。……が、それは、勇気ある、敬服すべき紳士という言葉のイメージから想像されるものとは程遠かった。
 まず、車椅子の中に干からびたようにちんちくりんになって収まっている、今にも死にそうな老人。一瞬、介助者が空っぽの車椅子を押して来たんじゃないかと思ったほどだ。車椅子はボンベが二台取り付けてありSFのロボみたいでやたらいかめしく、ますます車椅子の中身とのギャップを激しくしている。
 二人目は顔にモザイクをかけるべき男性。ゲロをぶっかけたような顔だ。神様が人間の顔の材料を咀嚼して吐き出したものがたまたまこの男の顔の上にくっついて、そのまま固着したような顔だ。笑っているのか、泣いているのか、表情さえ分からない。大変残念なことに、マチコよりひどい顔なのだ。
 三人目は若いし、はつらつとした笑顔を見せる健康そうな男性だったけど、身体の右半分が無かった。いや、よく見ると右腕と右脚が無い。左腕で松葉杖をついて、ぴょんぴょんと跳ねるように移動している。驚異的なスキルだけど、なんで車椅子に乗らないんだろう。
「では初めに最年長のアレクサンドロ・コワントロ・龍之介さん、代表して選手宣誓をお願いします!」
 ネムルがそう言うと、客席から失笑が漏れた。どうせ仮名だろうけど、なんでそんな張りきった名前にしてしまったのか。
 老人の前にスタンドマイクが準備される。
「……わーれーわーれーはー……」
 マイクでほとんど拾えない、老人の掠れて震える声が、やけにスローモーな調子でわずかに聞こえてくる。
「宇宙人かよ!」
と野次が飛ぶ。
「宣誓。我々は、セックスマンシップにのっとり、自らの性を公共に資するため、正々堂々と愛し合うことを誓います」
 老人の弱すぎる声帯に合わせてマイクの音量を最大に上げているらしく、ノイズだらけでほとんど聞き取れなかったが、横のスクリーンに字幕が出たので問題無かった。
 しかしその文字を読んで私は身体が冷えた。正々堂々と愛し合う……? ということは、もしかして、この老人と、タヒネが……? まさか。
 やっと宣誓し終えると老人はくたんと首を背もたれに預けて動かなくなってしまった。拍手とともに
「くたばれー!」
「がんばれー!」
「ひっこめー!」
 さまざまな野次が私の頭上をかすめていく。
 タヒネはソファにかけたまま、黙って横目で老人を見ている。老人は既に相当疲れた様子でぐったりしているけど、目だけはしっかり見開いてタヒネの乳を凝視している。
 ネムルは手元のカンペをつらつらと読み上げた。
「アレクサンドロ・コワントロ・龍之介さんは御年六十九歳、両上肢機能障害、移動機能障害、障害等級一級です。ファッションの第一回公演から欠かさず通い続けており、仏壇には無くなった奥さんではなくタヒネの写真を飾っているほどのタヒネファンとのこと、健闘をお祈りしまーす! さあて続いては、顔面トケルさーん!」
 これまたすごい仮名だがどうしちゃったんだろう。ネムルがマイクを差し出す。
「トケルさんは自力で喋れそうなので、自己紹介をお願いしまーす!」
「はい、顔面トケル、二十九歳です」
 残念ながら開いているのかいないのかさえ分からないような口から洩れる言葉は呂律が悪過ぎて聞き取りにくい上に、喋るたび唾液がだらだらと落ちていく。
「トケルさんはその顔、本当に溶けちゃったの? 火事とか?」
 ネムルがあっけらかんと、無礼極まりない質問をぶつける。
「いえ、生まれつきです! ……ヒエーイ!」
 トケルさんは正面を向くと客席へ向けて突如ダブルピースをかました。どう反応していいか分からず客席は静まり返る。
「はいはい、イエーイ。えーと顔面トケルさんは障害等級第七級、性に不自由な若年層を対象とした性障害者等級では堂々の一級です! 今日は存分に女体を味わってってね!」
 再びトケルさんは謎のひきつった表情とともにダブルピースを繰り出した。多分笑っているんだろう。
「頑張れー!」
「いけー!」
 割と好意的な声が客席から飛んでいく。
「さて三人目は、ミヲ・ササグさんです!」
 またギャグみたいな名前だ。片腕片脚が無い人がハイと返事して、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら正面へ進み出た。
「ミヲ・ササグ、三十二歳です、タヒネに会うために腕と脚、タイキョーしてきました!!」
 どよめきと拍手とともに
「ファッション障害者ー!」
「ひっこめー!」
という野次が飛ぶ。
「へえー、度胸あるねえ。皆さんご存知の通り、ICUの参加者は完全抽選なんだけど、厚労省のチャチャが入って障害等級に応じて抽選が有利になるってことになっちゃってるんですよねー。ちなみにコンサート代も大幅割引になるんだよね」
「ハイ、健常者のままだと何度応募しても落ちるので、もう、もいじゃいました!」
 ササグさんは器用に脚だけでバランスをとると、首から下げた障害者手帳を左手でつかんで誇らしげに掲げた。あれは私が持っているのと同じものだ。
「おー、障害等級三級じゃーん! ちなみにササグさんはハンサムなので性障害等級は無しです。ねえ、なんで車椅子で来ないの? キツくない?」
「よく見て欲しいからです、この身体を、タヒネさんに!」
 ササグさんはけんけんのように飛び跳ねながらその場をくるりと一周した。一周して分かったのだけれど、この人の服はTシャツ、ズボンともに左半分が白、右半分――手脚が欠けた側――は黒になっている。だからはじめ見た時、黒い左側が背景に紛れて「身体が半分無い」と思ってしまったんだ。二枚の服を半分ずつ縫い合わせたのだろうか。
「凝った服だねー。他の二人は寝巻きみたいなやつ着てるのにさ」
「はい! タヒネさんに覚えてもらいたくて!」
「覚えないよ」
 その時、無表情のままソファに座っていたタヒネはだしぬけに言葉を発した。
「片腕片脚ないくらいじゃ、忘れちまうよ」
「じゃあ次は両腕とります!」
 ササグさんは意気込んだが
「そしたらまた、初めましてってことになっちゃうね」
 さらりとタヒネにかわされてしまった。
「僕のことは?」
 トケルさんがその超個性的な顔面を指さして言う。客が笑う。
「私はファンのことは誰も覚えないよ。平等にね」
 タヒネは立ち上がるとおもむろにトケルさんに歩み寄った。そして、トケルさんの顔を、まるで赤ちゃんを抱き締めるように両手で包み込み、優しくなでた。
「どんな顔でも、覚えないでいられるのよ」
「ヒ、ヒエー」
 トケルさんは奇声を発してその場にひっくり返ってしまった。白衣マスク集団が速やかに登場して、トケルさんを担架に乗せる。一人がトケルさんの身体を調べ、高らかに白旗を掲げる。
「おおっと早くもトケルさん、ここでリタイヤ! いっちゃったようですー! あっけな過ぎるよー! まさか顔が性感帯だったの? それともこれがタヒネの聖なる力?! どうですかトケルさん、今のお気持ちは!」
 ネムルが担架の上のトケルさんにマイクを突きつける。
「……天国を……ありがとう……」
 トケルさんは力無く呟くとぶくぶく泡を吹いて失神してしまった。タヒネは獲物をしとめた獣のように得意げな顔でソファに鎮座している。白衣マスク集団が担架をかついで退場する。
「トケルさん、こちらこそ、感動をありがとう!」
「ナイスファイ!」
 客席から拍手と歓声が沸いた。
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