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ファッション・メンタル・ヘルス
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渋澤 怜
ほどなくしてタヒネが再びステージに現れた。というか、またまた容貌が豹変してしまったので誰だか分からないが、きっとタヒネなのだろう。いや、そもそも女か男かも分からないのだけれど……。
やたら背が高くなったタヒネは編み上げのブーツに黒のボンテージというハードな格好なのだが胴に対して脚がたくましすぎる。男の人の脚かもしれない。それなのに上半身は女のままらしく胸元の編み上げレースがはちきれんばかりに胸も大きい。先ほど腕につけていた生殖器はそのままだ。なまめかしく腰を振りながら大股で歩く姿は野生のヒョウみたいだ。一体、どれだけとっかえたら気が済むのだ。何人の身体を生贄にしているんだろう。
「カストラー!」と声が次々と飛ぶ。「姫」のように、この姿にも「カストラ」という呼び名がついてるんだろうか。
その、女か男か分からないタヒネはステージ中央に進み出でて、仁王立ちで構えた。秘境の民族のお祭りみたいな、原始的な太鼓の音がドンドドンと打ち鳴らされ、手拍子が始まる。
「普通になりたくないけど!」
「ハイハイ!!」
「普通以下にはなりたくない!」
「ハイハイ!」
「普通ではいたくない!」
「ハイハイ!」
「普通でいるなら死にたい!」
「ハーイ!!」
再びタヒネへ向けて突き出されたいくつもの手には何かが握られている。
「切る切る、生きる!」
「キルキル、生きる!」
タヒネと観客の応酬が繰り広げられ、場の熱気がどんどん高まっていく。太鼓の音もどんどん大きくなる。心臓を直接叩かれてるみたいに、痛いほど響いてくる。私にとても馴染みのある匂いが、鼻まで漂ってくる――血の匂いだ。
「アアーッ!! タヒネ様ー!」
マチコの裏返った声に驚いて振り向くとマチコは白目のままカッターを手首にザックザック突き刺している。手首は真っ赤だ。マチコだけじゃない。「切る、切る、生きる!」に合わせて、手首にあてたカッターをシュッと引く客が何人もいる。それでやっと、みんなが握っていたのはカッターだったのだと気付く。血と体液の匂いが混じって大変なことになっている。でも、マチコも、他の客も、笑顔、あるいはそれを通り越して恍惚の表情を浮かべている。ここは地獄なのか、天国なのか。
「才能無いなら死にたい!」
「ハイハイ!」
「勿体無いから死ねない!」
「ハイハイ!」
「普通に生まれたかった!」
「ハイハイ!」
「普通以下なら生まれたくなかった!」
「ハーイ!!」
タヒネは、血まみれになってもなお機敏なレスポンスを返す観客に対して、臣民を見るように満足げに頷くと、ステージ中央に配置された王の玉座のような立派な椅子に、脚を組んで座った。
「みんな私が羨ましいでしょ?」
「ハーイ!!」
溺れる人が空気を欲しがるような切実さで、再び、いくつもの手が伸ばされる。
「私って、普通じゃないものね」
「ハーイ!!」
「普通に生まれてしまったあなたたちに、今からでも遅くない、引導を渡してあげる」
タヒネが指をパチンと鳴らした。太鼓が鳴り止む。ステージ袖から、白衣を身に付けた人間がぞろぞろと出て来た。顔はぴったりとマスクで覆われ、目以外は見えない。
「普通じゃない子しか産みません。そう簡単に産まれさせてたまるか!」
十人ほど現れた白衣の人間は、玉座に座るタヒネの左右に均等に並び、跪いた。
「中絶ショーの始まりだ!!」
「イエーイ!!」
再び、太鼓の音が打ち鳴らされる。でもそれはリズムなんか無い乱れ打ちで、まるで何人もの人間の心拍が乗り移ったみたいに、私の心臓をどこどこ叩く。
タヒネが高く掲げた両腕に、白衣の人間達が群がった。多分、手に持ったスプーン状の器具で、タヒネの腕についる生殖器の中身を、掻き出している……。
マチコを見ると両手を固く握りしめて祈るように目を閉じていた。
「タヒネ様、どうかご無事で……!」
そうやって祈っている女もいれば、前方では男達が、熱い鉄板の上を爆ぜる油のように、太鼓に合わせて踊り狂っている。さっき体液を引っかけた男達は、一体どういう気持ちで自分達が全否定されているところを見ているんだろう。むしろ踊らないと耐えられないのかも。
「あはは! アハハ!」
私は底が抜けたみたいに笑いだした。タヒネ様、そうか。神様だわ。神様だと思わないとやってられないわ。糸が切れた風船みたいに理性も不安も恐怖も嫌悪もどっかに行ってしまい、私も踊った。見知らぬ人とハイタッチして、肩を組んで「タヒネー!」と叫ぶ。
やがて太鼓は静かにフェードアウトしていった。それはあり得た胎児の心音が消えていくようだった。白衣の人間達が、玉座ごとおみこしのようにタヒネを担ぎあげる。
「あなたの心の保健室、ファッション・メンタル・ヘルス!!」
タヒネは最後に再びそう宣言すると、担ぎあげられたままステージを去っていった。
今観たものは何だったんだろう。汗ばむ自分の身体もなんだか偽物みたいで、白昼夢を見ていたような錯覚を感じる。身体を微塵も動かせない。この姿勢を保つのが精いっぱいで、少しでも動いたら自分が崩れて意識ごと白昼夢の世界に持っていかれそう。
一体、何者なんだ、タヒネって。こんな、自分の身体を乗っ取られたような感覚、初めてだ。
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この作品の情報
中長編小説
ファッション・メンタル・ヘルス
エッチだってしたのにふざけんなよ! 文藝賞二次通過作。
舞台は精神疾患罹患率と自殺率が数十%のディストピアジャパン。 全ての男達が自分を性的対象として見ることに嫌気がさしたメンヘラ美少女ミアハは、自殺という形で世界への復讐を試みるが、ひょんなことから、ファンとの性交・妊娠・出産を請け負い少子化対策に貢献する厚労省お抱えアイドル「ファッション・メンタル・ヘルス」に加入し、どっちかというと世界を救済することに……。第50回文藝賞二次審査通過作。
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