そしてそのうちもっとひどいことになってきた。昔校門によく来たカメラ小僧みたいな気持ち悪い男の人達が、どこから噂を聞きつけたのかわさわさ湧いてきて、私を見つけてはバシャバシャ写真を撮るようになった。
「あ! 死にたガールだ! 囲めー」
「死にたガール、ノウガク町なう! 本日も激マブです」
 私はフラッシュを避けながら叫ぶ。
「何さ、死にたガールって!」
「今ネットで有名人なんですよ! 街中に謎のかたわ美少女がいるって!」
「私はそんな名前じゃない! ミアハって言うの!」
「ウオー! ミアハちゃーん! 可愛いー! 僕と心中してー!」
「腕の付け根見せて下さいー!」
 私は写真のフラッシュを浴びると、毎日学校の校門で囲まれたカメラ小僧の記憶が蘇ってどうしても切りたくなってしまう。カッターを口で咥えて手首を切り裂くと、慣れないやり方で加減が分からず、ぼたぼたと予想以上の血が地面に滴り落ちた。カメラ小僧は血にびびって遠ざかる奴と、地面に落ちた血に飛びついて「ぺろぺろ! ミアハちゃんの血痕ぺろぺろ!」と言いながら嬉々として舐める奴の二種類に分かれたけどとりあえず撒くことが出来た。
 もうやだ。どんどんだめになる。泣きながら車椅子をぶっ飛ばして人を蹴散らし、人の少ない方へ少ない方へと逃げていったけれど、何も考えないで道を選んだため見知らぬ路地裏に迷い込んでしまった。飲み屋やスナックがまるで便所の個室のようにせせこましく密着して並んでいて、その少ない陣地を主張するように下品なネオンがチカチカしている。その先へ進むと、やっているのかいないのか分からない喫茶店やハンコ屋や骨とう品店が軒を連ねており、その前にはまるで定規で測ったように均等な間隔で女の人が立っている。露出の多い綺麗なお姉さんばかりで、道行く男の人に声をかけている。よく考えたら私はこういう女の人たちを見たのは初めてだった。こういう職業には死んでも就きたくないと思っていたけど、実際目にするとこの人たちが汚い仕事をしていることも忘れて、華やかさに見とれてしまう。しかしそうやって女の人の列を眺めながら進んでいると、ひとり、強烈に私の目をひく女の人――というより私と同じくらいの年だから少女――いや、少女というか女以前の、物体――が現れた。まるでハムが立ってるみたい、手首も足首も首も肉がみっちり詰め込まれてくびれというものが一切無いチビのデブで、顔の大きさをした粘土に神様がダーツ感覚で目、鼻、口を投げ込んだようなあまりにもあわれな顔立ちだ。目はめりこみすぎてほとんど見えないし、鼻は投げた時の圧力で潰れ、口は変化球だったのかおかしな角度に曲がってる。その口が開いて
「私、要りませんかー?! あったまりますよー!」
とがなり立てていた。こいつも風俗嬢なんだろうか(というかこのハムにお金を払って一夜を共にする物好きが、果たしてこの世にいるのだろうか)。
 と思っているとヤクザがハムに近寄って来ていきなり蹴飛ばした。ハムはぼみゅんぼみゅんと二三度跳ねて受け身もとれずに無様に路上に投げ出された。
「また会ったね! 死にたがりちゃーん? 一体どこの誰の許可があってこの場所で商売してるのかな?! 勝手にここで立ちんぼしていいのかな?! ん?!」
 ヤクザがなおもハムに蹴りを入れる。蹴るたびに面白いくらい足が肉にめり込んでいて見てて飽きない。
「ねえ、そろそろやめてあげなよー」
 綺麗なお姉さんがヤクザの腕に絡みつく。散々蹴り尽くして満足したヤクザは唾を吐いて去っていった。
 なんだ、死にたがりって。同業者? 私はそのハムが這いずって裏道に逃げ込むのをこっそり尾行した。
「ハア……また蹴られちゃった。大事な身体なのに。なんか、寒いな……そうだ、私を切って温まろう」
 その子はマッチを擦るような手つきでカッターを手首にあてがいシュッと勢い良く引いた。そんなモンスターからは緑のゲルでも出てくるんじゃないかと思ったけど、ちゃんと私と同じ赤い血がブッシュウとおめでたいくらいの量噴き出した。ハムは白目を剥いたまま口をぱくぱくさせて
「ア、アア……王子様……」
とかうわ言を繰り返している。大丈夫だろうか。切り過ぎて幻影でも見てるのか。それにしても血まみれのデブのブスが白目で「王子様」とか言ってる絵は相当キツい。
 ハムはしばらくそうやってトリップしていたが、しばらくしてキッと我に返ると
「王子様が見えたからもうちょっと頑張ろうっと!」
と言って元の場所に戻っていった。慌てて私も後を尾ける。裏道から出たところで、しかし今度はハムは複数名の警官に取り囲まれてしまった。
「またお前だな! 通称『ノウガク町の妖怪』、心中魔マチコめ! 若年者自殺防止法違反の容疑で逮捕する!」
「え! あー、違いますうー。私はノウガク町の堕天使、死にたガールのミアハですう!」
 ハムが私の名前を口にしたので思わず「ブブーッ!」と派手に噴いてしまった。一体どの口が美少女の名を騙るんだ、モンスターめ。警官はハムの頭を引っ叩いて
「死にたガールはこんなブスじゃないだろうが! って、あ!」
と言って突如私の方を指差した。私は隠れていたつもりがあっさり警官に見つかってしまったのだ。車椅子にくくりつけたのぼり旗が全然隠れていなかったのだ。焦って逃げたものの全力疾走する警官に車椅子がかなうはずもなく、あっという間に追いつかれ手錠をかけられてしまった。
「キャー、本物?! 私憧れてたんですう後でツーショット撮ってくださいね!」
 マチコと呼ばれたハムが駆け寄って来て、同じく手錠がかかっているとは思えないあっけらかんとした口調でそう言う。すりつかんばかりににじり寄って来たけど、脂と汗が飛んできそうなんでさりげなく顔をそむける。そのまま二人揃ってパトカーに詰め込まれて留置所へ連行されてしまった。
 留置所でも同じ房に押し込められた。このハムは一・五人分くらい場所をとるんだから二人房ではなく別な部屋にしてほしい。
 房に入れられ途端にくつろいだ様子を見せたマチコは
「私、実は捕まりたかったんですよねー」
と豪語してきた。
「え、なんで?」
「私、親に無理矢理身体売らされてるんです。はじめは風俗だったけど、全然お客がつかないから心中嬢に変えたんですけどそれでも誰も声掛けてくれなくて、でもお客がつかないで家に帰ると殴られるんですよね。だから帰りたくなくて、たまに警察にお世話になっちゃうの」
「心中嬢って、一緒に心中してあげるってこと?」
「うん。自殺したいけど一人は怖いって人多いですからね、特に男の人は」
「じゃあ、親はあなたに死ねって言ってるの?」
「そう! 『あんたみたいなブサイクを天国に連れて行ってくれて、金も積んでくれる素敵な人が早く現れないかねー』っていつも!」
「……」
 それが「王子様」か。自分を殺してくれる人を夢見てリストカットするマチコって、どれだけみじめなんだろう。しかしなんて親だ。自分の子供を心中用に差し出してお金を貰おうなんて。マチコに一瞬同情して、でも次の瞬間マチコみたいなモンスターが生まれてしまったマチコの両親にも同じくらい同情した。
「ああー。もし王子様が現れなくて、生きて十八になったら、私、タイキョーしてお金作って、家出ようと思うんです。それで思う存分タヒネ様を追っかけるんだー」
「タヒネ様って? え、ていうか、あんた十八歳未満なの?」
 まさか年下だったとは。体積と貫録があるから一、二歳上だと思っていた。
「いっぺんに質問しないでくださいよー、今十七です。で、タヒネ様は歌手です。今ティーンのリストカッターに最も支持されているシンガーですよ。すっごい美人で、歌も上手くて、かっこいいんです! 私タイキョーしても、女の子の大事なところだけはタヒネ様に献上したいな」
「女の子の大事なところを……献上? タヒネ様に?」
「ええ。うふふ」
 マチコが豚みたいに笑った。
「あ、そう言えばミアハさんてタヒネ様に似てますね。足も片っぽ無いし」
「はあ、そうなの」
 その時、房の扉が開いていかにも警察官という感じの鋭い目つきをしたいかめしい男性が現れ、
「被疑者ミアハ、風呂だ」
と言ってきた。
「ここで衣服を脱ぎなさい」
「え……? あ、……え?」
「二度言わせるな。被疑者ミアハ、風呂の時間だからここで衣服を脱ぎなさい」
「……」
 なんかおかしいと思いつつもその目つきに反抗出来ず、留置所ってこんなものなのかなと思って服に手をかけるとマチコがそれを制した。
「ここで脱ぐなんてこと今まで無かったんですけど」
「規則が変わったんだ」
「それなら私も一緒に行きます」
「入浴は一人ずつだ」
「じゃあ私が先に行きますよ!」
 マチコは私を守るように警官の前に立ちはだかり、何の躊躇もなく衣服を脱ぎ捨てた。私の目の前に、確かに肌色の肉の塊であるけれど今まで見てきた女の人の裸とは決定的に違うもの――裸というよりもはや兵器――が現れた。今まで人類がしでかした悪に対する罰の全てを、一体の人間の醜さに集約したらこうなるだろう、というくらいの、見ているだけでなぜか大変道徳的な気持ちになり、罪の意識に苛まれて懺悔したくなるような、精神攻撃兵器だった。私はひっと目をそむけると床に額を擦りつけ、
「ごめんなさいごめんなさい!」
と意味不明ながら謝りまくった。警官も吐き気をもよおしたのか、
「う……」
と言って口を押さえていなくなってしまった。
「ミアハさん、ミアハさんの純潔を狙う卑しい警官が沢山います。私が守ってあげますからね!」
「う……ありがとう。もう、いいから、服を着て……」
 私は身体提供で目を明け渡さなかったことを後悔した。
 しばらくしてまた別の警官が来た。
「留置所内の風俗の乱れを防ぐため、男女とも生殖器を預かることになっている。被疑者ミアハ、提出せよ」
「え、え……?! 何ですかそれ?!」
 さすがに今度は私も意味が分からな過ぎてすんなりとは従えない。
「そんなこと今までありませんでしたよ! しかもミアハさんだけって変じゃないですか!」
 マチコも応戦する。
「先月留置所内で婦女暴行事件が起きたためだ。被疑者マチコ、お前とやりたい男はいないから無しだ」
「なんですかそれ?! ミアハさんへの留置所内の不当な扱いとして、外出たら訴えます!」
 そこへ、
「まあまあ」
と言って、上司らしき別の中年の警官がやって来て部下の肩を叩いた。小声で部下に
「そんな露骨なやり方せんでも」
と囁くと柔和な顔を作って私達の方へ向き直り、
「君達、先ほどタヒネ精神保健局長の話をしていたね」
と言ってきた。
「はい。だから?」
 マチコは警戒を解かない。
「タヒネ局長の公演が、若年自殺志願者更生プログラムに指定されているのは知っているね」
「ええ。……それが?」
「それで君達もこのプログラムの受講が義務付けられているわけだけど、しばらく予約でいっぱいでね。三ヶ月先しか空きが無いんだ。でも、もし良かったら明日の回に入れてあげようかと思ってね」
「!」
 マチコの警戒が少し緩んだ。目が輝いているのを隠せてない。さっきの様子だとマチコは相当タヒネとやらが好きだったみたいだし、もしかしたらその自殺更生なんとかプログラムを狙って何回も逮捕されてきたんじゃないだろうか。
「というのも、我々の関係者席チケットが二枚余っているものだからね」
「で、その代わり、ミアハさんの……大事なものを、ってことですか? 信じられない! 卑劣! 公職なのに!」
 マチコは唾を飛ばし、歪んだ唇を更に醜く歪めて叫んでいたけど、上目づかいで私をちらちら見る目には怒気がこもっていなかった。本当は私に、生殖器を明け渡してほしいんだ。
「いいですよ、別に」
 私は面倒臭くなって言ってしまった。
「ミアハさん、正気ですか?!」
「いいよ、私、卵子すっからかんだし」
 どうせ死ぬ気だったし、セックスする気なんて一生無いんだから、無い方が楽だ。それにとにかく早くこの不快な狭い場所から出たかった。
「ちょっとあっち向いてて下さい」
 そう警官に言うとすぐさまその通りにした。さっきまであんなに偉そうにしていたのに、笑える。
 私はパンツをおろすと、生殖器をずるっと引っ張り出した。思えばそれを見たのは初めてな気がする。見ようとすればいつでも見れたのに、変な話だ。人にあげる時に初めて見るなんて。
 こんな、ただの袋で良いなら、くれてやる。
 私はそれを、犬にエサをやるように床に放り投げた。
「それやるから、もう下らない用事をつけて来ないでくれる」
 警官達は飛びついてそれを拾うと
「ひゃー! 美少女のだ! 本物だ!」
「とれたてほやほや!」
「天然オナホ!」
と喚き散らし、みこしのように高く捧げ持って踊り狂いながらいなくなった。
「ミアハさん……いいんですか……、女の子の大事なものなのに……。もしかして、私のために……」
「うるさい、次そんなこと言ったら殺す」
 私はこんなブスに同情したわけでも、義理を感じたわけでも無い。ただ早くここから出たいだけだ。
 その日はそのまま留置所で眠りについた。巨大なブルドッグが襲ってくる夢を見た。私の残った左腕、右足、胸とお尻の肉の塊ふたつを順番にもいでは投げつけて、ブルドッグがそれを食っている間に逃げのびた。
 起きるとブルドッグそっくりな寝顔のマチコが、豪快ないびきをかいていた。
 悪夢だ、寝ても覚めても。
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