走るというより飛び跳ねるようなエキセントリックな運転の果てに病院に到着した。
「みんなー! 活きのいい卵子入るよー!」
 女医さんが道場破りのように威勢のいい声で叫ぶと
「キャー!」 
という歓声と病院の床が抜けるほどの地響きが轟いて若い女の人達が押し寄せた。私はいくつもの手で服を脱がされ患者服を着せられタンカに乗せられ薬を飲まされ寝かされて、起きた時にはもう卵子が採れているらしかった。私の同室のベッドには涎を垂らして白目を剥いて足をビクビク震わせながら恍惚の表情を浮かべる女性が何十も横たわっていた。あの女医さんもいた。
「すごいですよ、あなたの卵子! 二百個も採れて、全部着床しましたよ。こんなことって滅多に無いんですよ。あなたの卵子の生命力は素晴らしいですね」
 私の隣に立つ手術着姿の女性がマスクの中でにっこり笑った。
 私は「生命力」という言葉に思わずブハッと笑ってしまった。本体は今にも死のうとしてるのに、卵はぴちぴちだとは。もしかしたら本体の破滅を予知して必死で逃げて生き延びようとしてるのかもしれない。そう思うと私の身体ってすごい。わけも無くハイテンションになって、大きな声を出したくなった。
「私はミアハ! あなたたちの本当のお母さんよ! お腹の子たち、覚えておいてね!」
 勝ち名乗りのように叫んで病室を飛び出した。いいぞ、ミアハ。どんどん死に近づいてる。伝説作っちゃってる。次は何をしてやろうか。
 まるで羽根が生えた心地で病院のつるつるの廊下を疾走する。子宮が軽い!
 一、二、三! と弾みをつけて走り幅跳びの要領でジャンプしたら、横から飛び出してきたストレッチャーと衝突した。ガシャーン! と、身体中の骨が砕け散るようなすごい音がして私もストレッチャーも無様に横転した。
「いたた」
 起き上がるとぎょっとした。目の前に散らばっていたのは誰かの腕と脚、それも五体分? 十体分? すごい量なのだ。一瞬、転んだショックで自分の手足がとれてしまったかと思ったけどどれもちゃんとついていた。
「やばいやばい、早く冷凍しないといけないのに」
 二人の手術着姿の男の人が慌ててそれらを拾い集めてストレッチャーに乗せて去っていった。
 何だったんだろう、あれ、と思いながら歩いていくとだだっぴろい待合室にたどりついた。壁の一角を占拠している、壁画のようなどでかいテレビが喋り出す。
「ええ、手足を失った時は、死のうと思いました。生きる意味なんて無いと思ったんです」
 その台詞は私の脳のわずかな隙間に針金を入りこませていくような絶妙な感じでぴったりと私の注意をひいた。
「こんな苦しい想いをして、醜い姿を晒して生きていく意味なんて無いと思ったんです。でも今は、自分が障害者として生きる意味は、自分が苦しんだ分、他人の苦しみを分かってあげられることなんだって思ってます」
 画面に映っていたのは、中身の無い服の右袖をぷらぷらさせている、あまり美人とは思えない車椅子の女性だった。
「今や現代の演劇シーンを語る上で外すことの出来ない存在となっているダイエさんは、二十二歳の時、交通事故で右手と右足を失った。一時は自殺も考えたというが、そんなどん底のダイエさんに訪れた転機が演劇との出合いだった」
とナレーション。
「普通の世の中では、手足がちゃんとある人が当たり前で、私は『欠けた人』として保護されていました。でも芝居では、手足の無い私にしか出来ない役があるんです」
「自分の居場所を見つけたダイエさんは、マイノリティの生き方をテーマとする劇作家のシズムさんと出会い、障害者役を次々演じ、評価を高めていく。今ではシズムさんはダイエさんの生涯のパートナーでもある」
「今の世の中って自殺率もすごく高いし、心の病を抱えている人もたくさんいる。私は手足の代わりに、そういう人の気持ちに寄り添える優しさを手に入れたと思っています」
「ダイエさんは、身体提供が一般的になった最近でも、提供を受ける気は無いと言う」
「だってこの姿が私ですもの。この姿で見つけたことを大事にしていきたいんです」
「生涯自殺率十%、精神疾患患者は二千万人と言われる今日の我が国を救うものとして、今、芸術の力が注目されている。CMの後は、精神疾患患者に圧倒的支持を得る歌手、タヒネさんの素顔に迫る」
 まるでテレビの中に移住したように心を持っていかれていた私は、まさにこれだと思った。そうだよ、私、ずっと気持ちを抑えつけてたけど、小さい頃から役者になりたかったんだ。あんなブスでも手足が無いってだけで女優になれるなら、私なんかもっとなれるじゃん。あのスカウトマンめ、AV女優にしかなれないなんて言いやがって。今に見てろ。死ぬのはやめだ。伝説の女優になってやる。
「私、手と足寄付します!!」
 病院の受付の女の人に叩きつけるみたいに叫んだ。
 受付の人は新種の生物でも見るみたいに私の顔をぽかんと見つめたまま十秒間ほどフリーズした後、突然目が破裂したみたいにものすごい量の涙をびしゃびしゃ流し始めた。
「なんて殊勝な子なんでしょう……この年で奉仕の心が備わっているなんて……。本当にいいの? 本当に、いいのね?」
 私は首がもげるくらいに激しく首を縦にぶるんぶるん振った。受付の人は鼻をずびずび言わせながら私をカウンセリングルームのようなところに案内した。そこには真っ白な白衣を着た初老の女性が、空気を吸いも吐きもしないような静けさで座っていて、なんだか死神みたいだなと思った。
「あなたは十八歳以上ですか? 十八歳未満の場合は、親権者の同意が必要です」
 死神は突きつけるように言った。黙って保険証を見せると
「では、提供いただける身体部位に○をおつけ下さい」
と言って問診票を渡された。
『腕(右・左)、足(右・左)、眼球(右・左)、耳(右・左)、乳房(右・左)、生殖器、臀部(右・左)』
「あの、この最後のやつ何ですか?」
「お尻のことです」
「ああ……」
 そんなもの欲しがる人がいるんだろうか。まあ、事故で片尻を失った人というのがいるのかもしれない。
 ミアハ、あなたは、みんなが喉から手が出るくらい欲しくて仕方無いものを、もう持ってるんだよ。
 ママの言葉が頭の中で響く。あ、そう。じゃあ、あげるよ。私は全部に○をした。
「二つあるものは片方しか提供することが出来ません」
 死神みたいな女の人は無表情でそう言った。
「あ、そうなんですか」
 じゃあ、とさっきの○を消して、左、右、左、右……と交互に○をつけた。なんだかやる気の無いアンケートみたいだ。
「本当にこれでよろしいですか?」
「はい、いいです」
 さっきテレビに出ていた役者の人は右手右足が無かった。多分右側を車に轢かれたんだろう。ジグザグに欠けてる方がオリジナリティがあっていい。
「最後にアンケートにお答え下さい」
と問診票の下部を指された。
『身体提供を行う理由は以下のどれにあてはまりますか。一、自殺予定のため。二、謝礼および障害者手帳を得るため。三、性的嗜好。四、自傷行為の延長として。五、その他』
「うーん」
 五かな。さっきまでは一だったけど。五に○をすると死神に
「あなたが身体提供されるのは、善意ですか?」
と聞かれた。
「まあ、善意もあるけどね。役者になれないじゃん」
 死神は真っ黒な瞳でこちらを見ていたけれど、まるで私の回答を無視してマニュアルを読み上げるかのように言った。
「あなたが、たとえ善意で身体提供を行うとしても、社会の中にはこういった理由――つまり、自殺志願者、または自傷や性的快楽のため、あるいは金銭を目的に自分の身体を切り売りした倫理観の欠けた人物として、あなたを批判する方がいるかもしれません。そうした可能性もご理解・ご了承した上で、身体提供にご協力いただけますか」
「はい、余裕です」
 どうせ死ぬ気だったのだから何でもいい。
「それと、身体提供ですが、普及して久しいとはいえ、いまだ根強い倫理的抵抗を持つ方も多く、送り手・受け手ともに感情的非難の矢面に立たされることも時としてあります。善意で提供して下さる以上、あなた個人が非難されることは妥当とは言えませんが、必要以上に身体提供者であることを周囲に伝えることは控えることをおすすめします」
「え、あ、はい」
 まあ、これも別にどうでもいい。
「本日提供いただいた身体部位は、すぐに冷凍保存され、翌日いっぱいはこちらで保管します。翌々日以降は既に提供されている可能性があり、返還を求められても一切応じられませんのでご了承下さい」
「ハイハイ」
 その可能性は絶対無いから大丈夫。
「最後に購入者ですが、基本的には保険が適用される身体障害者の方が購入されますが、まれに非常に高額ながら保険適用外の価格を払って健常者の方が何らかの目的で購入され」
「ハイハイ、いいです」
 この人のマニュアル口調はうんざりだ。
 私はさっさと左腕、右足、左目、右耳……と取り外していって気付いた。
「あ、やっぱ、手と足だけにしていいですか?」
 見えないところを提供しても意味が無い。手と足だけ無ければぱっと見で障害者に見えるからインパクト十分だ。
「……先ほど、よろしいですかと確認したはずですが」
と若干眉に皺を寄せながら死神は問診表を変更した。
「では、あちらで障害者手帳と謝礼をお渡しいたします」
 立ち上がって言われた方向に歩こうとして派手にすっ転んでしまった。足が一本無いのを忘れていた。死神がかっこいい電動車椅子に私を乗せて、部屋の外に連れ出した。
 まだだらだら涙を流している受付の女の人は手足の欠けた私を見てさらに獣みたいな唸り声を上げて号泣し、涙でしわくちゃになった障害者手帳と謝礼金の入った封筒を渡してくれた。封筒というよりむしろ筒ってくらいに膨らんでいて、ちょっと覗くと辞書を上から見たみたいになってるけどこれは全て札束なんだろうか。
「障害者手帳があれば、公共料金の減免、税制の優遇、公共施設の利用料金無料などのサービスが受けられます」
 私の後ろで車椅子を押す死神が言った。受付の女の人は嗚咽をこらえながら私の手を握って、
「あなたは天使の生まれ変わりに違いありません。きっと幸せが訪れます」
と力強く言った。天使だったら札束の厚みにこんなに興奮しない。
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