ピグマリ女(ぴぐまりおんな)

私の“先輩”は、人工知能学会誌の表紙を飾ったあの人だ。
 あの人が世に現れた時、世間はちょっとした騒動になったのだった。
 一見すると、何の変哲もないただの可愛い若い女の子のイラストでしかない――まじめな学会誌の表紙としてはちょっと冒険的だったかもしれないけど――しかし、その腰から唐突ににゅっと突き出ている太いコードに目が行った時、人はぎょっとし、そしてこの人が人ではなくロボットなのだと分かる。彼女は片手で箒を持って、ロングスカートにエプロンを身につけているから、どうやら掃除の最中のようだと分かる。でももう片方の手には開いた本……それに目を落としながら、彼女は微笑している。ロボなのに、掃除をしながら、サボっている? しかも本を読みながら? 何層ものベールを剥がすごとに疑問が湧き起こってくる、不思議な“先輩”の姿――そしてその不思議さをそのまま体現したのが、この、量産型の“私”だ。

 私は今、ご主人様の言いつけに従って、掃き掃除をしている。ご主人様は同じ部屋の少し離れたところにいて、ロッキングチェアに深く腰掛け、タバコを燻らせている。私の腰からは、重ったるいコードが伸びている。まるで、見た目が人間そのままである私が人間ではないと最も手っ取り早く知らしめるためだけに伸びているような、重くてぶっといコードである。こいつのせいで腰から下がダルくて仕方無い。こんなアナクロな電源方式はありえないんと思うんだけど……20世紀のアニメに出て来るエヴァンゲリオンだって、コードが抜けても3分間は活動出来たはずだ。

右手には箒を握り、一応動かしている。これまたなんて前時代的な物を握らされているんだろう! 人間酷似型ロボットを作り上げることが出来る時代に、こんな化石みたいな道具! ルンバだって家庭に普及してから十年は経っただろうというのに。せめて掃除機を使わせてくれたらいいのに……。私にはご主人様が生まれた時代――20世紀の昭和という時代――への「懐古趣味」とやらを全く理解出来ない。このお屋敷の調度品も、多分立派なものなんだろうけど、私にとっては博物館かテレビのセットに紛れ込んだみたいで、いまいち落ち着かない。ちなみにこの、煤けた色のロングスカートとエプロンも、「昭和」の香りを演出するものらしい……。私にはダサいとしか思えないけど。

こんな邪念が湧いてしまって、私の掃除は全くはかどらない。というより、左手に持たされている本のせいで、文字通り掃除は「片手間」でしかない。
いや、私にもともと埋め込まれた生来の気質のせいかもしれない。この、真面目にひとつの物事をやり続けられない、という気質……。

“先輩”が世に出た時、世間を賑わせたのは、実はあの本の表紙として先輩の姿を採用することが「女性差別にあたらないか」という論争が巻き起こったからだった。
「人間の若い女の子そっくりなロボットがコードにつながれて、家事をさせられている……ひどい!」
「『女は家にいて家事をするべき』というステレオタイプを助長する」
「『ロボットみたいな従順な女が欲しい』という男の幻想丸出し。ヘドが出る」
「国際的学会誌の表紙としてあり得ない」……。
こうした意見が、主に女性側から溢れだした。
 しかし、“先輩”の姿を肯定する声も、同じ数だけ現れた。
「可愛いじゃないか」
「人間型のロボを求める気持ちは男女共通。どうせ作るなら、若くて可愛い女の子のロボが良い、というだけ」
「従順そうに見えて、実は掃除をさぼっている。ロボットだけど知性を持ち、そして、人間味に溢れている。夢があるじゃないか!」

 そうして“先輩”を取り巻く議論が白熱するうち、いつしか“先輩”はネットを中心にキャラクターとして独立した人気を博していき、二次創作イラスト、SF好きによるファン・ノベルが無数に生み出され、フィギュアまでもが売りだされた。
 その後輩にあたる私にも、当然その人気の秘密となったある「気質」が埋め込まれているに決まっているのだ。

「はわ~っ」
ドスンッ
 本に気をとられたまま適当に手足を動かして掃除を再開したところ、私は自分のコードにつまづいて転んでしまった。
「あいたたた……」
 お尻をさすりながら、上目づかいでちらりと覗き込むと、タバコの煙の向こうには微笑をたたえたご主人様の顔が浮かんでいた。でも、キュッと細められた目は次の瞬間にはカメラのフィルターに遮られ、パシャリとシャッターが切られていた。
床に散った箒と本を拾うと、箒は大丈夫だったけど、本のページが少し折れてしまっていた。
「本が……」
 私が床にへたりこんだままご主人様に向かってしょぼくれてみせると、ご主人様はそれには答えず、おもむろにロッキングチェアから立ち上がり、こちらへ歩み寄って来る。そして手をさしのべて、私が身体を起こすのを手伝ってくれた。
「壊れたところは無い?」
「私は大丈夫だけど、本が……」
「気にしなくていいよ」
 ご主人様の目は笑っている。でも、心配してもらっているというのに、私にその言葉はむなしく響く。だって、私は、定期的に転ぶのだ。数十分に一回程度。必ず、自分自身のコードに足を引っかけて……。転ぶように「仕向けられている」のだ。だから、そんなことで壊れる訳ないじゃないか。
 ご主人様は、私を立て起こしてからも私の手を握ったままでいる……。息が臭いなあ、と思うと、まるでそれがテレパシーで伝わったようにすっと手を離したご主人様は言った。
「少し写真を撮ってもいいかな?」
 もうさっき撮ってたじゃない、と思いながらも、私はにこりと頷く。“先輩”のことを考えながら、出来るだけ“先輩”に似たポーズをとる。

 “先輩”の二次創作イラスト、フィギュアの中で最も人気があったポーズは、「ルンバと戯れる」というものだった。それはまるで、現代科学技術の粋を集めて作られたはずの“先輩”が、箒という時代錯誤なアイテムを持っていることを揶揄しているみたいで、なかなかウィットに富んだものだと思う。
 驚いたことに、というか、ある意味予想通りというか、ご主人様は本当にルンバを持ち出してきた。
「こんな骨董品もあるのだよ。僕は物持ちが良いからね」
 実際私はルンバを見るのは初めてだった。段差に弱いとか、狭いところを掃除出来ないとかで、私が生まれる前にはもうブームが過ぎ去ってしまったと聞いた。本物のルンバは、“先輩”のイラストで見たままの姿だったので、ちょっとした感慨が湧く。
ご主人様が電源を入れて床を滑らせると、ルンバは起動時に予想外の俊敏な動きをして、避けようとした私はまた転んでしまった。
「あーもう!」
 憎らしい! すぐ転ぶこの身体が! 私よりずっと下等な機械なんかに転ばされるこの身体が!
 ご主人様の姿を忘れて、ルンバにつかみかかって噛み砕いてやろうかと歯を剥き出して威嚇すると、
「可愛いな」
 ご主人様の呟きが上から降って来た。
「“未来”って感じだ」
 ハッとしてご主人様を見上げると、もうその目はカメラのフィルターに隠れて見えなくなっていた。
 何が“未来”だ。すぐ転ぶ人型ロボットとポンコツのお掃除ロボットを遊ばせて、何が未来だ。私じゃなくて最新鋭の掃除機でも買ってればいいんだ。

 結局、その後数百回にわたるシャッターに私は付き合わされることになった。「アイボ」という機械の犬にも初めて会って、一緒に写真を撮った。この犬もまた昔に大流行したらしいけど、今は生産中止しているため、入手困難らしい。とっておきのお宝だよ、と教えられた。そう言えばはじめから気になっていたけれど、このお屋敷は古めかしい調度品にまぎれて謎のメカや不思議なオブジェがいたるところに散在している。本棚にはSFや機械工学系の書籍がぎっちりと詰まっている。もちろん“先輩”が表紙を飾った人工知能学会誌も。ご主人様はどうやらその方面の熱心なマニアのようだ。私を迎え入れるのも、きっと念願だったに違いない。

「そろそろかな」
 こころなしか頬を上気させ、興奮した様子のご主人様がそう言うと、私の首から下げたタイマーがピピピと鳴った。
「今日はどうもありがとう。可愛らしいお嬢さんが来てくれて大満足だったよ」
「こちらこそ、ありがとうございました」
 決して安いとは言えない額の紙幣を、ご主人様は何でもないように差し出した。両手で受け取って確認させてもらうと、
「あれ、多いです……」
「いいんだよ。本当に今日は楽しかったからね。また呼んでもいいかな」
「はい。ぜひ!」
 私は自分の名刺を取り出して精いっぱいの誠意を込めて渡した。
「ぜひ、また、指名してください」

 私服に着替えて客の家から出ると、青い空が広がっていて、やっとまともに呼吸出来た気がした。もしかしたら無意識に息を止めていたのかもしれない。しかし一体私は、こんなに晴れた日の昼間に私は知らない人の家にこもって何のマネをしていたんだろう。腰のコードから解放されて気持ち良いし、お財布も潤っているし、このまま街まで服でも買いに行こうか。でもその前に事務所に報告しないといけない。チップのことは勿論言わない。

 事務所に電話をかけたら、急な予約が一件入った、すぐ車で迎えに行くからそこで待ってて欲しい、と言われてしまった。残念だけど仕方無い。こんなに稼げるバイトは他に無いから、むしろ感謝しないといけない。でも、出来たら次は別な“先輩”が良いな。あの腰のコード、本当に、しゃれにならないくらいに重いんだ。
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