(1) 生い立ち

写真はフランスに発つ前の若き鄧小平


1904年、四川省広安県の裕福な地主の家庭に生まれる。村で儒学の手ほどきを受け、11歳で近くの町の中学校に入る。14歳で中学校、翌年五四運動のデモに参加している。仕事しながら大学に通えると云う留学制度(勤工検学)があって最年少(16歳)で参加できることになった。到着してみると、事情が変わって計画通りに通学することが出来なくなった。第1次大戦後で学生たちの大半が仕事につけていなかった。仕事に着いていない者に対して生活維持費の給付が打ち切られることになっり、学生たちは抗議活動を行った。1921年中国共産党結成の報が伝わると、学生たちは共産党フランス支部を起ち上げた。リーダーは周恩来。鄧小平も参加。鄧小平は正規の学校教育は受けられなかったが、雑役夫、ボイラー炊きなどを経て、パリ近郊のルノーの自動車工場で工員として勤務する。働きながら学生たちの勉強会に参加。周恩来のもとで雑用を分担する。謄写版印刷のガリを切るのが得意で印刷屋とあだ名された。逮捕の危険を察知してモスクワに、国民党・共産党の幹部養成機関の中山大学で1年みっちりマルクス主義を学ぶ。また、革命直後のモスクワ市民の生活のありさまを実体験した。そのあと27年コミンテルンの指示で陝西省に派遣され中国に戻る。

*毛沢東と鄧小平の考え方の違いに、この留学経験があるのではないかと思っている。若きときの経験は貴重である。毛沢東が中国を出たのはモスクワに行った時だけである。

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