世界には外面しか存在しない

人には自意識が在ります。
大仰な言い方をする人であれば、自意識のことを『魂』と呼ぶかもしれません。しかし、考えや意識、魂は目には見えません。目に見えるのは『魂の入れ物』である、非常に物質的な身体だけです。

本作の主人公・ミアハにとってその美しい容姿が人生を生きて行く上でプラスに機能した時間はほんの短いものでしょう。少なくとも、彼女にとって『可愛い顔』には大した価値など無い。
ミアハにとって『可愛い顔』は自らに接近して来る他者の考えを測りづらくする――この人は私と仲良くなりたいのか?それともセックスがしたいのか?――ネガティブな要素となっています。ミアハには他人の真意が良く分からない。一度は無条件に『他人の好意』を信じたミアハにとって、それは更に掴みづらいものである筈です。『真意が分からない他人』が兎に角自分に寄って来る。自分の真意を理解しない親、友人。性的なことにしか興味の無い軽薄な異性。アイドルという表層。ミアハには他人が自分を襲うゾンビのようにさえ感じられるのではないでしょうか。
『ゾンビ』が蠢く社会の中に生きているからこそ、作中では人間の腕や足、性器は『着脱可能』なものとして描かれ、ミアハも同様に『とっかえ』をします。また、本作には過剰なまでに身体を傷付ける描写が登場します。リストカット描写は甘い方です。通常、人間は深い傷を負えば命の危機に直面します。しかし、深い傷を負うことと『死』は本作において必ずしも近しいものではありません。むしろ、ミアハが気にしているのは死に方や、その死が後世に残るものかどうかという『死のスタンス』です。

彼女は人生を通じて如何に世界が表層的なものであるかを理解しているからこそ、内面に価値を置き、表層に価値が無いことを証明するために異様に『死』に拘る。
彼女の『死』への拘りは強烈で、なおかついじらしい『無い物ねだり』のようにも思えました。
彼女が望むような死の形が、作中に描かれる世界に本当に存在し得るのかどうか……。『理想』の存在しないディストピアこそが世界の本当の姿かもしれない――。そのようにも思います。
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