半径二百メートルの宇宙 これでどうよ

半径二百メートルの宇宙


 部屋が荒らされ、照明は壊れている。首吊りとは、実に不気味だ。

 暗闇の中、半周回って灯台の明かりに照らされる遺体は、割れたサッシガラスの向こうから吹き込んでくる潮風と、時折打ち寄せる波に揺らぐ船の傾きに大きく揺れている。

 落ち着けと必死で自分に言い聞かせても、鼓動は速度を増し息遣いは荒くなるばかり。

 この死体がどんな経緯で、こんな姿になったか知ろうとすればするほど、高ぶる気持ちを抑えられない。

 誰も好き好んで、ぶらぶらする仏さんの前に立っているのではない。

 僕の場合、少なからず幼少期にまで遡った経験が影響している。

 過去に拘る気はなくとも、後ろばかりを見続ける人生だった。

 どんなに頑張っても未来など見えない以上、これから何年生き延びられるかは不明だが、決して長くないだろうと自分に問いかける毎日を過ごしている。


 始めて幽体離脱なる現象に出くわしたのは、五つになった年の五月五日。

 隣に越してきた豪邸に住む幼馴染の為だろう鯉のぼりが、生きているかの如く皐月晴れの空に舞っていて不思議だった。

 はて、去年の今頃はどんな状況であったか、振り返ったその時、この身に異変が生じた。

 何事が起きたかの記憶はないが、周囲にいた人間の証言を元に状況を再現すれば、突如として倒れ込み一時間ばかり仮死状態だったらしい。

 その間、僕はどうしていたかというと、去年の自分が隣家の庭で遊んでいるのを上空から眺めていた。

 まだ知識というものが微かな年頃で、このような現象が幽体離脱だとは知る由もない。

 加えて妙なのは、この離脱が体の時間と同時進行ではなく、脱して浮遊する霊体が過去に行っている事だ。

 もっとも、時を超越していたのだと理解したのは、ずっと後になってからだが。


 ポッポ屋の父と桶屋の祖父・母と叔母に兄、それに足す事の自分で総勢六名。

 当時としては平均的な家族構成だったものの、現金収入は父が勤務していた日本国有鉄道からの月給と、年に数か月ばかり有るか無いかの東京努めで得る叔母の薄給のみ。

 祖父が営む桶屋は早桶が出ると喜ぶ始末で、とてもあてにはできなかった。

 こんな状態だから我が家は現代から見れば貧しい世帯に見えなくもないが、社会全体がこんな状況だった昭和の時代。

 当家にはカラーテレビなる機械まであったのだから、あの頃にしては、いたって平凡な生活水準だったと家計簿に記録されている。

 ところが近隣を見渡すと、どれほどの悪行に手を染めていたのか、極めて裕福な家庭が数件あった。


 五歳になったばかりの頃、僕にとって一番劇的な出来事は前期にある幽体離脱であるが、その他にも記憶に鮮烈な事件がいくつかある。

 今でこそ白木市となって栄華を極める地域だが、僕が幼少の頃は田畑野山の中にポツポツあばら家がある程度の人口密度で、周囲に住まう子供は殆どが鼻たらしの年上だった。

 こんな状況で同年代の男子が少ない中、一緒になって遊んでくれたのは女子が圧倒的に多かった。

 見かけはまだ男の子とも女の子ともつかない年頃であったためか、一緒に遊んでいた女共の悪戯で、普段からの衣装が女物である事も多々あった。

 これを見かけ、僕が戯れる姿の美しさに魅了されたか色気づいたか、近所の悪ガキが何やかんやとちょっかいを出して来る。

 今も昔も毛嫌いされている性犯罪の、加害者と被害者の関係が成立するのに、たいして時間はかからなかった。

 もっとも、あの頃は一緒に遊んでいた御姉さん達との似たり寄ったり行為による夢見心地も相まって、あんな事こんな事を忌まわしい犯罪行為だなどとは感じていなかった。

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